大阪への一時(4号機)避難から一旦帰京した

昨夜夜中の3時くらいに一旦帰京した。
丸5日間、大阪へ一時避難していたことになる。なんだか向こうで初日から違和感なく慣れてしまったので、戻ってくるのにまた違和感があったぐらいだ。

ちょっと寝てまた仕事。慌ただしい。

旦那は今日もそのまま休みを取っているので、平日しかできないこと、移住ビザ取得に必要な戸籍謄本を取ったり、車の売却について担当者と打ち合わせに行ったり、合間に大型ごみ出す用意をしたり、細かいことをやっている。

セブへの本格引越しを3月末から2月末に早める旨、セブポット(エージェント)さんにも今日通知して、それにまつわる質問事項を送っておいた。

そうそう、昨夜は20時過ぎくらいに大阪を出て車で帰京したのだが、改めて見ると夜中でも交通量はそこそこある。今後、4号機避難などの有事には首都圏の道路が封鎖されることが考えられるが(警視庁のHPにも具体的に37の道路名が挙げられてます)、そんなことしなくても元々首都圏は道路基盤が脆弱過ぎて、自然渋滞だけでも十分脱出アウトになりそうだ。

311後の帰宅難民騒ぎのときも、地震後、電車も道路も空港もしばらくしてから全部ダメになったのが原因だ。電車は夜中に少し動きだしたが、首都圏はたったあれだけの規模の移動でも緊急対応ができない場所なのだ。

私たちは帰京途上で地震でもあれば、あるいは、友人から緊急事態のお知らせが届いたら、すぐまたUターンしようという心づもりもあった。まぁいろんな可能性をいつもシミュレーションしながら行動しているのだ。抜けていることも多いけれど。

今回は東京に何日間いられるかな。
旦那も退職日を早める交渉を職場の人と行っているが、現状、危機を理解できていない人達相手なんだから、その場で分かってもらう必要はない。日程の前倒し希望を通すことにのみ焦点を当てて頑張っていこうとしている。
幸い、旦那の職場にはあからさまに非難したりいやがらせをするような人はいないようなので助かっている。

今回は友人の家を借りて避難したのだが、おかげで友人も交えて今後のビジョンについて語り合うことができた。有意義かつ心燃やされる話が満載だった。このことににも大きな価値があった。ゆっくり話せる機会ってそんなにないので、避難中は絶好の“ビジョンナイト”になるのだ。