停電中のように見えるキャンドルの光の下、クリスマス家庭礼拝を行なった。旦那と2人。
賛美歌『牧人、羊を』『きよしこの夜』を歌い、聖書箇所、ルカ2章11節〜20節、マタイ1章18節〜2章12節まで輪読。
救い主(メシア)の降誕という、旧約聖書時代から預言されていたことが、数百年の後に遂に実現したそのとき、その現場にいたのは当時の社会ではとるに足りないとされていた人たちであったことの意味について考えた。
つまり、異邦人(=メソポタミアから来た東方の占星術学者たち)と最下層民であった羊飼い。
救い主の降誕はユダヤ人の預言者たちにより、それより数百年も前から預言されていたにもかかわらず、本来来るべき人たちは来なかった……。(そして2013年現在でもそれは変わらない)
あと、賛美し、順にお祈りして終わり。
救い主イエス・キリストを救い主としてただ受け取る人々が起こされるようお祈りしています。このことは人の努力や説得、知識によりません。ただただ神さまからの一方的な〝恵み”のみで起こることです。
救いは〝恵み”なので、自分の努力も状況も資格も無用、〝受け取る”だけでよいというわけです。
『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」』(ルカ2:11−14)
*聖書からすれば、12月25日はイエス・キリストの誕生日ではないと思われますが、根付いてしまっているがゆえ、私は〝イエス・キリストの降誕(生誕)を祝う日”として、礼拝を持つようにしています。
クリスチャンとしては〝毎日がクリスマスである”といえるので、私自身はあまり12月25日のみを特別視していません。1年のどの日でも、ご生誕を思い起こしては感謝し、祈り、祝えばよいと思います。