礼拝Day

今日は礼拝Day。

クリスマス前なので帰省している子たちも多いようで今日はほぼレギュラーなメンバーしかいなかった。
こっちはこのシーズンが国全体的にクリスマスのパーティーとか帰省で家族の集まりをする時期のせいか、肝心の教会のクリスマスではクリスマスメッセージもないし、クリスマスコンサートとかキャンドルサービスとか、クリスマス集会とか、そういった日本では絶対にある教会としての催しが全くないのだ。これは全く残念なことだと思う。

考えたらカトリックが9割とはいえキリスト教国としては本末転倒な話で、主イエス様のご降誕を思う、祝う、伝えるという本来の意味を脇に置いて、主役を脇に追いやって、正直これではパーティで自分たちが遊んでいるだけじゃないかと思う。周辺での諸イベントも多いが、全く本来のクリスマスと関係ないカラオケ大会とか普通のコンサートとかをやっている。

そして世界中でクリスマスは、神が人となって救いのためにこの地上に来られたイエス・キリストの降誕を祝い喜ぶものではなく、いつの間にか近年はプレゼントをくれる“サンタさんの日”になぜか刷りかえられている。

このような中にあっても、神様からの、私たちすべての人間への最大で最高のプレゼントはイエス・キリストであり、そのプレゼントの真の素晴らしさを知り、イエス・キリストの救いを受け取る人が一人でも多くありますように。

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ書9章6節)



「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカの福音書2章14節)

■生き残った餅子ちゃんと牛太郎君。

今、おばさんと甥っ子同士、2匹元気にやっており、お隣の人無視で、私は勝手に移動させたり、連れ出したり返したりして何とか彼らを守ってやろうとしている。

ちょうど1週間前の日曜にドキンちゃんが飼い主の不注意(というかそもそも注意も何もしていない人たちだが)で犬にかみ殺された。発見した私はその死んだ顔や姿、傷痕を毎日忘れることがない。飼い主に殺されたようなものだから、あれ以降、私たちで彼らの居場所をチェックして飼い主がまた危ない所に繋いだりしていたら移動させるようにしている。