風邪に任せて長々雑記 ―なんでボホール島へ引っ越したのか

風邪で動けないので引きこもっており、せいぜいPCができるだけの状態で早4日……。明日には市場くらいは行けるようにしたい。お蔭さまで今日の午後で峠は越したようだ。

私は生まれ育った大阪から仕事で東京へ出てきて10年、専門職でフリーとして自活することなどを以前からの目標にしていたのだが4年前にそれも実現し(自分の目標より10数年も遅れてだが)そこそこ落ち着いていた。都内の生活が大好きで何の不満もなかったし、この先ボチボチこんな感じでいくのかなと思っていたら311が来た。

昨年夏に突然具合が悪くなって、自分がひどい被曝をしていることを瞬時に悟った。こうして動けなくなって治る見込みもなく苦しんで死んでいくのだということを理屈や数値ではなく体感して寒気がした。それから旦那を巻き込んでの海外避難計画が始まり、実行するに至った。旦那も私も物事へのこだわりがない性格が幸いしてか日本を出ることに不安はあまりなかった。仕事はどうするのか、生活できるのか?というのが避難希望者の方々の一番の心配要素であることは私も重々承知している。当たり前のことだと思う。しかし私たちにとって東京に残る不安のほうがはるかに大きかったため、先の不安には気が回っていなかった。どうせここに残っていても数年で仕事ができない体になるか、仕事自体がなくなっている。とにかく何事も逃げてから考えよう、1日も早く脱出しよう、そういう感じだった。行き当たりばったりである。

私は40年余り行き当たりばったりで生きてきた実績があるので、あまり先のことをどうのこうの考えていない。20歳も過ぎたころからお上のことも世間のしくみも全く信用していなかったし(年金もかけていない)、いずれこんなことになることもおおよそ予想はしていた。だから誰が責任を取ってくれるのか、助けてくれるのか、ということには全く焦点を当てておらず、目の前の出来事に自分はどう対処できるか、それだけを考えた。具体的には自分の能力、貯金などで今すぐ長期避難ができる方法は何か?そういうことだ。
もちろん政府・東電・経団連への責任追及、彼らへの抵抗活動は引き続きやっていかないといけない。目を離すと彼らの悪が止まらないからだ。日本だけでなく世界規模での悪の所業がみんなの思っているよりもずっと早く押し寄せている。監視して自衛して周りに警告していかないと生き残ることさえ難しくなる。

前置きが長くなったがこのような背景でセブ島へやってきて、語学学校とアパート契約の終了を機にお隣のボホール島へ引っ越した。セブ島市内は人口・車密度が高く都会生活と変わらない気がしたこと、何となくプチバブルでイケイケな感じが自分の趣向に合わなかったことが大きい。
放射能汚染でやむなく出てきた海外ではあるけれど、それならそれでいっそのこと全く違う新しい生活を始めたいというのがボホール島へ来た大きな理由だった。
ボホール島の町の中心地は日本の地方都市くらい、まぁのんびりした田舎でのどかなところだ。島の中央部には観光地があり離島にはリゾートが固まっている(行ったことがない)。外国人はそこそこ多いようだが日本人は少ないようだ(今のところ1人しか日本人の知り合いがいない)。
就職希望者にはセブ島でさえ求人の絶対数と給与等の条件面でなかなか厳しいかと思うが、ボホール島に至っては就職すら(多分)ない。でもすでに勤め人ではなかったことと年齢的にも(たとえ日本国内であっても)就職はどのみちないのであまり関係なかった。

ただ、日本では都内で1人暮らしするにも最低でも月15万円位はかかり、毎月の経済的プレッシャーが大きいのに比べてこっちでは生活コストはグーンと抑えられる。うちも家賃が1万6千円で4LDK、2バスルームある新築アパートだ。贅沢して大きい部屋なのではなく、そもそも1人や2人向けの小さい物件がないのだ(ちなみにセブ市内では30m2程の1Rで月2万9千円の小さいアパートを借りていた)。フィリピンでは子どもの数や家族数が全然違うからだ。できたら小さくてもっと安い物件があればそのほうがよかった。無駄に広いと掃除がしんどい。部屋が余っているので、こっちへ避難の下見や一時滞在を希望する人に使って頂いたらいいかと思っている。(ただしうちの夫婦喧嘩がうるさいかもw)

私は仕事柄、少し日本の仕事を不定期ながらも引き継げるため、ある程度はカバーできる面もあるし、助走としては助かっている。ただし、こっちで新たな仕事、新たな生活をしていくことのほうが重要だ。でもそれも世の中の価値観に毒されない形で行いたい。わずかなお金とわずかな持ち物でそもそも十分なのだ。あとは周りの仲間、家族と協力し合って、神さまに対して良心に反せず神さまに祈りながら生きることのほうが人間として幸せではないか? 元々若いときから消費活動でのみ回っている世の中を冷めた目で見ていたので、ここらで本当に仕事(最低限の経済活動)と人間性が両立する形を模索していきたいと思っている。

本当は、こっちで日本人避難移住者の雇用を作れるほどの力量があれば一番の直接的人助けとなり、理想的なのでしょうが、悲しいことに私にはマネタイズの才能がない。お金にならないアイディアならいろいろ思い浮かぶ。今後、そういった才覚のある人が新たに移住してくれば可能性も広がっていくかもしれない。他の人からこういう新ビジネスをすれば?などと勧められたりもするが、そのうち自然に道が開けたらという感じで保留扱いにしている。いずれにせよこれからもビジネスゲームには興味がもてないことだろう。

第一、こんな田舎のボホールにいたら、自分が何かいい持ち物を持っていたりいい服を着ていたりしても誰に見せるの?って感じだし、競争心も湧かない(もちろん現地の人は金持ちになりたい!と思ってるだろうが)。それより、みんなで持てるもの(モノや才能やアイディアも含め)をシェアし合って平和に楽しく、ノープレッシャー・ノーストレスで生きるのが、わざわざ日本のように欲が行き過ぎて破滅寸前の国から避難してきた人間には一番だろうと思う。


『人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。』(聖書)