帰省、意外な結果に

ぐだぐだしてたら、もう29日の夜になってしまった。
22時前、やっと実家に電話して、おかんに“私ら正月帰省したほうがええかなー?”と聞いてみた。

そしたら意外な返答がきた。

「いや実は、うちこないだからやっとトイレが水洗化するんで工事入って、来年3月位までかかるから、あんたとこの旦那に今のボットン便所やったらさすがに悪いやろ。そやから、3月以降かまた来年の正月来て」
だって。

……。

うちの実家は大阪府八尾市。結構大きな市で人口も多いけど、未だに市としてトイレが水洗化しなかった経緯がある。個人で浄化槽を入れて水洗トイレに改造している家もあるが、うちの実家のように隣家との間が狭すぎて工事ができず、そのまんまボットン便所の家も多いのだ。数年前からは洋式便座を取り付けて“洋式風ボットン”に昇格してはいたのだが……。

うちの旦那はそういうこと気にする人ではないし、元々旦那の実家も貧乏だったので、何でうちの旦那にトイレのことで気遣うのか分からんかったが、まぁこのままでは東京の客人を呼べないと思ったのだろう。

また、トイレ水洗化工事の件プラス、毎年元旦に来る伯母2人が今年からは車を廃車にしたため電車で来ることになって、遠いから実家で泊まっていくことになったそうだ。狭い実家に、伯母2人と私たち夫婦2人で計4人も泊まるのは難しいから、いずれにしても今年の正月じゃないほうが有難いということだった。

なんか思わぬ展開だったが、正直ほっとした。
でも帰省しないんじゃ、肝心の来春移住の件が伝えられない。だから電話でそのまま伝えることにした。“東京は放射能汚染がひどくてこのままでは数年で死ぬか病気にかかるから、近く東京を出る”と。セブ島とまでは言わなかったけど、できるだけ遠くへ行くつもりだとは言っておいた。

そっちは、そんなにひどいんか!? とおかんはちょっと驚いてたが、私が、

「そっち(大阪)でどのくらい放射能のニュースが流れてるか知らんけど、こっちは相当ひどくて、まだ今日も福一3号機が爆発起こしたし、全然報道はされへんけど、実は病人や死人がもういっぱい出てんねん。私らもかなり被曝してて夏頃体調を崩してたし、このまま居たらいつ死ぬかも分からんから、そうなる前に逃げるわ。健康と命が大事やし仕事がどうのとか言うてられへん。元気やったらどこででもまた仕事もできるし、何とでも生きていけるやんか」

と言うと、

「こっちでは全然そんなニュースしてへんわ。ほんまかいな。そらそうや。体のほうが大事や」とあっさり納得され、別に反対もされなかった。

「大阪も汚染がれきを受け入れて燃やし始めるし、東北の食品も行ってるし、食品偽装とかもあるし、東日本のもんは一切食べたらあかんで。とにかく大阪でも食べもんには気を付けてや!」と注意もしておいた。

そしたら、

「うちも今まで岩手のお米食べてたけど、さすがにあれからは気持ち悪いから四国の米に変えたで」と言っていた。

これにはほっとした。“食べて応援”とかしてたらどーしようかと思っていた。まぁ、おかんの性格からしても食べて応援はないやろと思ってはいたが……本当によかった。

またもやケンカになるんではないかと思って、帰省も移住の説明も避けてもう黙って引っ越そうかと思った位だけど、自分の予想とは違う雰囲気だったので助かった。神さまに感謝した。私の思う結果になるとは限らない。何より、おかんがいつになく随分話しやすかったので、それに驚いた。このことのために特別祈ってはいなかったけど、神さまが実家との関係がさらに悪くなることを防いでくださったのだと思う。

再来年の正月には予定通りならセブにいる。セブから帰省して、元気そうな様子が見せられればそれで安心してもらえるかと思う。