生後半年の子持ちの友人

埼玉にいる、生後半年の新生児を持つ親しい友人から4か月ぶりぐらいにメールが来た。

前回のメールでは、私たち夫婦が“放射能汚染のため沖縄へ移住する予定(その頃はまだ沖縄移住を目指していた)”ということと、“生まれた子どものために放射能に気を付けて。首都圏の産婦の母乳からセシウムも出てるくらいの汚染だから”などと忠告して、返事が来ずそれっきりになった。

だいたい、他の人にでもこういうことを書くと、放射能関連の部分だけきれいにスルーした返信が来るのだが、彼女の場合返信が来なかったので、育児でメールどころではないか、放射能汚染のことについてやりとりしたくないかどっちかだろうと思っていた。

出産したばかりのママたちは毎日寝る暇もなくフラフラだ。インターネットで情報収集などしている時間も余裕もなく、世の中のことを知る暇すらないことだろう。だからとても危険だ。
また、何を知っていてどう思っているかは、いくら親しい友人でもこっちが切り出してみないと分からない。

久々のメールでは、育児で忙しかったことと、ご主人の(長年うつを患っていて)発作が続いたりで大変だったと書かれていた。そして、移住計画は進んでますか?と私たちの近況を尋ねてくれていた。

私は、彼女たちの近況に対する返事と、引越し先を沖縄からフィリピンに変更したことなどを書いてすぐに返した。
するとまたすぐに返信が来て、“国外にしたとはまたびっくり。でも原発のことで(私たち夫婦が)他の人の助けになっていくことだろうと思ってました”などと書かれていた。加えて、“私はまだここで神さまのご用があるようです”とも書かれていた。

“新生児と放射能”とくれば、答えは“緊急避難”だ。しかし“緊急”と思えるレベルの危機感が、はなから欠落していれば彼女のような考え方になってしまう。子どもは親に命を委ねざるを得ない存在で、自分ではどうにもできない。

とても歯がゆいがどうしようもない。放射能についての基礎知識がなければ避難の必要性がそもそも分からない。
知識不足・情報不足は今の時代、まさにその人と家族を死に追いやる。
今が“戦争中”だと理解せず戦闘態勢にない人、目を覚ましていない人は2012年、この世での命を失い、さらには永遠の命をも失って(手に入れ損なって)しまう可能性が高くなるだろう。今はそういう切迫した時なのだ。

信仰でも、プライベートでも多くのことを分かち合ってきた大切な友人だっただけに残念でならない。多分彼女は、子どもに障害が現れても、神さまがくださった試練、この病も神さまに委ねます、という考え方をするだろう。
それが正解かどうかは神さまのみが決めることだが、私という別の人間からすれば完全に誤った信仰、判断に思える。
死や病は神さまがくださったのではない、自衛を一切せず無防備でいたことの結果を自ら刈り取ったに過ぎないのだ。

今私ができることは、彼女たち親子の無事と守り、また、今起こっている事態を早く認識して避難できるよう、神さまに祈ることだけだ。神さまが彼女に直接語ってくださるように。