荷造りと現地視察予定

明日から4日間だけセブ&マクタンへ下見に出かける。今日ギリギリで荷造りする。
南の島へ行くなら水着とシュノーケル用具は必須だけど、今回はあくまでも視察なので海レジャーはナシ、できるだけ歩いていろいろなところを回ってみるつもりだ。

24日はエージェントの方の案内で賃貸物件、語学学校&寮を中心に見学させてもらう。ロングステイ視察ツアーとして提供されているサービスだが1日1人4000ペソ(=8千円程度)なので、日本人の会社としては非常に良心的だと思う。自分たちの見学したいところを事前に伝えておけば、送迎付きでアレンジしてくれる。

私たちが移住に際して最初に決めておかないといけないのは、最初から賃貸アパートに住むのか、最初は寮に住むのかということだ。寮は基本的に若い学生向けのものなので、我々夫婦が引っ越し道具も持ち込んで入れるのかどうか、今回その辺を見てみて判断したい。

先日エージェントに聞いたところ、寮に入らなくてよい語学学校はセブでも4、5校しかないそうだ。大抵の語学学校はレッスンが1日8時間とか10時間とかの缶詰で(しかもマンツーマン授業が多い!)、物理的に外へ出ている時間などなく、寮に入らざるを得ないスケジュールとなっている。
通いを許している学校はそれだけゆるくて甘いということで、英語力を上げるという点ではお勧めしないと現地と日本を行き来してオンライン英語レッスンの会社を経営している人からアドバイスされた。

少し前まで私も知らなかったが、とても多くの韓国の学生たちがセブへ語学(英語)留学している。とにかく安い、その割に質がそこそこいい、授業がマンツーマンで缶詰集中レッスン、セブの治安がそこそこいい、などがおもな人気の理由だ。さらに上級ビジネス英語などを目指す学生はその後、欧米圏へ留学するという段階を踏むようだ。

私たち夫婦は旦那38歳・私43歳というド中年で、学生でも受験目的でもない、避難民だ。私は正直、世界に数多く存在する難民みたいなものだと自分たちのことを思っている。
311での放射能汚染とそれに畳みかけるように決定したTPP参加で、今後長期的に日本にいることはできないと判断した。

ただ、311での避難のタイミングとしては非常に遅いと思う。早い人は311直後に西日本なり国外なりへ逃げていた。311から1年間も被曝してから避難移住とは悠長な話だが、放射能汚染の実態を知って今後の予測をし、どこへ避難し、どういう生活をするのかなどおおよそのプランを立て、持ちマンションを売り、退職のタイミングを見、具体的に準備をし、ということをしていたら2012年3月末になった。

移住を決めた当初は実は沖縄を目指していた。しかも、私が今年10月頃に先発で行き、旦那が来年3月末という時間差を予定していた。いよいよ那覇市内の物件をネットで問い合わせ始めた頃、東北の汚染がれきを全国の自治体へ拡散し処分させるということが決まった。移住場所を国外に変更した直接的な理由はこれだ。(その後TPPで確信した)

沖縄が安全だと思っていたわけではない。基地には放射性物質が持ち込まれているし、東日本の食材が入ってきているし、玄海原発、中国や韓国、台湾の原発もある。ただ、国内では福島から一番遠い県であり、最善だろうと考えた。何より言葉やビザの問題が発生しない国内にとどまっているのが、今後仕事を得て生活費を稼ぐためにも一番だと思った。

国外へ出ればビザの問題にまず直面する。そしてビザの問題は就労問題に直結する。そして言葉。夫婦共、英語もまだまだこれからなので国内に比べて障壁が高すぎるのだ。しかしその大きな障壁と天秤にかけても、放射能汚染の現状、TPPなどのNWOグローバリストによる日本社会の破壊(安全な食べ物もなくなる)から即刻抜け出さなければと思った。

こんな切迫したことでもなければ私たち夫婦は国外で住むことなど考えもしなかっただろう。(もちろん沖縄移住を考えていた段階で、その後、国外へ出ざるを得ない事態が起こることも予想していた。けれど一足飛びで最初から国外とは……手間が省けて良かったが)東京は好きで、ここで生活できるなら何の文句もなかったからだ。何より、自分が築いてきた仕事、人間関係もここにあり、必要なものも楽しめるものもここに十分あるのだから。

しかし裏返していえば、自分たちの希望に反して国外へやむなく押し出された形ともいえる。新しい生活を神さまが用意し、何かを起こそうとしてくださっているのだと受け止め、夫婦で感謝している。旦那などは早く行きたい行きたいと楽しみと期待のほうが大きいようだ。退路を断って行くのだから不安はあるはずなのに、旦那にはそういう気配がない。生来、脳天気なのだろう。……というと可哀想、神さまに信頼しているからだろう。