他人にできることできないこと 

昨日の午後は吉祥寺で友人と会い、輸入食品店KARDIでいろいろと収穫を得た。放射能汚染と化学調味料、有害添加物まで避けていると自分として合格するものがなかなかない。

それから外食もとても難しい。何せ食材の詳細が分からないのでどうにもならない。インドカレー(しかも豆カレー)&ナン、やエスニック料理の一部、パスタのペペロンチーノかシンプルなトマトソース系などでしのぐしかない。
友人とご飯ということになって何食べよう?と言われると、「インドカレー行こうよ!」というふうに先に提案してしまう。それで反対されることはほとんどない。上記3種は女性なら大抵嫌いという人はいないし。

私は勤め人ではないので義理の付き合いがなくていいけれど、勤め人で内部被曝を防ぐ努力をしている人はこれからの忘年会・新年会シーズンは苦しい時期だろう。付き合いをとるか健康をとるか。内部被曝防止生活はとにかく日々の判断と努力の積み重ねだ。自分の中に確固たる軸がないとブレてしまう。ストイックな人ほど成功する? 日本全体では少数派なのだし、ある程度わが道を行く覚悟がないといけないのも確か。

放射能の危険性、いまだ収束していない福一の危険性、日本各地にある老朽化した原発の危険性、政府・マスコミのうそ、誰が人々を洗脳させ騙して利益を得ているのかというカラクリ……そういった社会に仕込まれたあらゆる危険と欺瞞を伝えようとインターネット等を使って活動している人はプロのジャーナリストから一般の主婦まで数多くなった。でもそれは全体からすればごくわずかでしかない。これから息長く続けていく必要があると思う。

ただ、聖書でイエスさまがよく言われたように、「聞く耳のある人は聞きなさい」――聞こうとしない人、聞いても同意しない人、聞いても忘れる人は必ず一定数居る。100%の人に分かってもらうことは土台無理な話だ。だから私は“伝えること・情報提供すること”と“分かってもらうこと”を切り離して考えている。結局、その人が何を信じ、どう考え、どう行動するかはその人自身の問題だ。議論や他人の説得でどうにかなるものでもない。

特にこのような、人生を大きく変える問題、命にかかわる問題に直面して、人の言いなりになることは難しい。また、人が言うから渋々……と流されて行動したところで続くものではない。一人ひとりしっかり真実を求め、自分と向き合い、結論を出さないといけない。
家族に説得されて一時避難した人でも、自分の決意が強くなかったためにすぐにまた元の場所へ帰ってしまう人も多いと聞いた。命にかかわることでも人の価値観は違う。だから、他人にできることは情報提供とせいぜい勧告くらいのものだろうと私は思う。