婚約式から早1年

気付けば婚約式から1年経っている。で、婚約式の5日後に311事件が起きたわけだ。当時は仕事&式準備その他で忙し過ぎた。
311の地震津波の不自然さには最初から気付いていたので(揺れていた最中にこれは仕込みだと確信)そのことは熱心に調べていたが、その後報道され始めた福一の放射能漏れの件はすっかり流してしまっていた。どあほうである。
そんなことで私は放射能汚染の実態に気付くのにかなり後れをとってしまい、3/15に首都圏が放射性プルーム(&雨)に曝されたとき、都内早稲田の仕事先に通っていた。幸い3月21日の首都圏汚染時には自宅にいた。
たまたま昨年より花粉症の疑いを感じて念のため外出時にマスクとメガネをかけることを習慣づけていたことで助かった面は少しある。

その2カ月後の5月7日に結婚式、翌6月には自宅を売りだした。夏頃には沖縄へ移住しようと考えて物件のあたりも付け、沖縄でやりたいことも見え始めてきていた。ところがその後、政府の愚策による瓦礫や食材などすべての汚染物の拡散、TPP参加も言われだして、これはもうだめだと見切った。

もちろん沖縄など西日本でワンクッション置いてもよかった。馴染みも土地勘もあるし仕事もある程度継続できるし、私は沖縄が元々大好きだ。だけどこれからの長い年月を考えると、西日本も東日本と同様の放射能汚染防御生活の苦労を強いられるようになるだろうし、福一はガタガタだし、TPPの追い打ちで遅かれ早かれ国外へという選択に迫られることは目に見えていた。それならもう思い切って一気に国外へ出たほうがいいよねということで9月位から国外脱出計画が始まったのだ。

と、ここまでのことを電撃結婚と電撃計画で夫婦分裂せず一致できたのは奇跡かもしれない。ただただ神さまの守りと憐れみだろう。旦那や私の忍耐力などないに等しいのだし。もちろん途上での意見の相違や引越し時期、その他希望事項などでいさかいは絶えなかったが、大きな決断だし仕方がない。
311以降、日本国内で家族関係他さまざまな人間関係が放射能理解の相違で分断され、別居や離婚、相反に追い込まれた。それは今も続いており、311事件は人間関係をも容赦なく壊した。その現実からすれば、よく決定的に分裂しなかったものだと思う。

私たち夫婦は新婚時から激動の中に置かれてしまい、ノーマルな(?)新婚生活らしきものを送ることなく10カ月が経ってしまったが、たった10カ月後に双方無職となって海外に住むようになっているとは婚約時には思いもしなかった。今回の引越しの件では私たち以上に周りの人が唖然としている感があるが、私たち自身はこうするよりほか選択がなかったと納得しているので、ここまでのことをあまり大ごとだと考えていない。

人からは「旦那さんがよく思い切ったよね」と言われる。確かに311以降、男性は仕事やキャリア、今の生活に執着して避難を嫌がる人が殆どだし、ましてやうちの旦那のように新卒から安定職に就いて転職したことも東京を離れたこともない人間が、当てもなく退職することはすごく突飛で無謀なことに思えるだろう。
だけど今の場所でそのままの生活を続けて、いつまで放射能による脳障害(無自覚でも全員が起こしている)と身体障害に耐えられるか?そうなったら仕事だのキャリアだのどの道失うのだ。仕事の換えはきくが脳みそと体の換えはきかない。私などそういう選択をする人のほうがよっぽどすごいチャレンジャーに思える。私にはとてもそんなすごい賭けはできない。しかもそのキャリアだとか地位だとかってのは一体なんぼのものなのか? 

私は渡航後、西東京での生活を思い出すこともない。何だか遠い昔のことのように思える。
悲しいことだが今はもう、自分たちの生活設計だとか自分達家族の幸せだとかそういう範囲のみに焦点を当てて一生を終えることができない時代に突入してしまっている。一体どの位の人がそう感じているかは知らないが、例えばアメリカならおよそ3億の人口中300万人、つまり1%がアーバンプレッパーと呼ばれ、真剣に今後の世界の変化に備えている状況だ。全世界の人口で計算してもそんな位なのかもしれない。

誰もが戻ろうと思ったって、311前の世界には戻れない。その現実を受け入れられずにいる人もたくさんいる。というかそのほうが多い。個人個人が何と思おうと我々は否応なしに戦場へほうり込まれているようなものなのだ。私は1年間、新婚気分ではなく戦場気分で過ごしてきたと振り返って思う。ただ、311のようなことを思いがけない事とは捉えていなかったので、落胆したり恐れたりひるんだりすることもなかった。こんなことは今後いくらでも起るぞと思って備えてきたし、そのとき自分はどうするかということをずっと考えてきたので、当然のことのように受け止められた。911以降そういう人は多くなったかもしれないが、まだまだ真の危機感を感じている人は少ないのだと思う。

私は“思いがけないことが思いがけないときに起ってしまった。どうしよう?!”と慌てふためく人がないようにと願い祈っている。備えていたって最善の判断をし正解にたどり着くことは難しいのだ。備えもせず冷静さを失った状態で果たしてまともに立っていられるだろうか?