■イザヤ書62:1-7
62:1 シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために沈黙はしない。その義が明るく光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
62:2 そのとき、国々はあなたの義を、すべての王があなたの栄光を見る。そのとき、あなたは新しい名で呼ばれる。【主】の御口が名づける名で。
62:3 あなたは【主】の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。
62:4 あなたはもう、「見捨てられた」と言われず、あなたの土地は「荒れ果てている」とは言われない。かえって、あなたは「わたしの喜びは彼女にある」と呼ばれ、あなたの国は「夫のある国」と呼ばれる。それは、【主】の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得るからである。
62:5 若い男が若い女の夫となるように、あなたの息子たちはあなたの夫となる。花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。
62:6「エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。終日終夜、彼らは、一時も黙っていてはならない。思い起こしていただこうと【主】に求める者たちよ、休んではならない。
62:7 主を休ませてはならない。主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで。」
【雑感】
このイザヤ書62章の箇所は、エルサレムの回復そしてイエス・キリストが統治する御国(千年王国)の到来についてが語られています。
直接的な意味では、そういう内容が預言されている箇所です。
それが主題ですが、6節、7節では、「城壁の見張り人」たちが神様のご計画(マスタープラン)を知り、計画の中に入っていこうということが語られています。
皆、城壁の見張り人となって、エルサレムを常に見つめて、エルサレムのために祈り(詩篇122:6)、神様のすべてのご計画を知り、神様が何をされているかということを常に共有し、それを「見張って」、その計画の中に私たちが入っていくことを願い、行います。
昨日から、聖書に書かれている「城壁の見張り人」ということが、ふと思い起こされました。
城壁の見張り人、見張り番、という人たちは、実際のところ、人間の盾のように城壁での水際ストップというか、敵が襲撃してきて入りこんでくるのを死に物狂いで防御し、追いやって突き落とすというのが当時の見張り人の任務でした。
考えてみると、非常に恐ろしい任務だということです。
そのことを覚えて、世界中でどこで何をしているクリスチャンであっても、誰もが同じ神様のご計画を担って、「城壁の見張り人」となる必要があります。
そしてそのための祈りと行動は日々の必須事項です。