【私のブログ・終末の時代】邪悪な日に際して対抗できるように、神のすべての武具を取る

エペソ6:11  悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

 

 

世界を支配しようとしている人たちがいます。

彼らが精神的にまともではないことは分っています。

彼らも悪魔のパペット(下僕)です。

聖書によると、人は神につくか悪魔につくかの二拓とされています。

 

 

世界統一というのは、聖書では3年半の期間しか完成しないと書かれています。

今のWEFたちのメンバーで成り立つ”世界統一”ではないのです。

聖書のタイムラインから読むと、彼らの統一社会は完成しないのです。

 

片足を突っ込んでくるぐらいに迫ってきて、世界中の人々を苦しめたり脅したりするでしょうが、彼らの悪しき働きは完成できないということです。

 

 

どのように今の悪党たちが失敗するのかは明確には分かりませんが、確かに世界統一社会が起こるのは「反キリストが出現した時からの7年間」になります。ですから今のWEFの面々とはタイムラインが違うのです。彼らはある意味大患難時代の「前座」です。

 

悪魔の霊によって独裁を願う人間、人間を支配したがる人間、他の人間を迫害したり殺したりする人間が、どんどんはびこって来るんです。今はその段階です。

 

反キリストが出現する時、世界中すべての教会(信者、聖徒)が忽然と世の中から取り去られます。その時、世に反キリストが出てきて、「7年間の大患難時代がスタート」します。

 

同時に、ヨハネの黙示録の記述通り、大患難時代の幕開けは、まず最初に悪魔の子であり偽り者である反キリストの出現です。彼は、世界中の人々の尊敬を受け、人々を魅了させます。皆が彼を歓迎します。

 

(ここで反キリストと今の世界統一を目論む者たちとの違いが分かりますか?

=今の世界統一を目論む人間は世界の人々からもの凄く毛虫のように嫌われていますよね。シュワブやソロスやゲイツや何やらは、「とにかく早く死んでください」と言われるほどに嫌われている。

 

しかし反キリストの出現は彼らとは全く違います。今のWEFや世界のDS、ネオコンなどとは全く違う印象でやって来るのです。皆が「この人ならばきっと世界平和を実現させてくれるだろう」と期待されるような人物なのです。

 

反キリストは、世界中の国々で人々の信頼を得ます。しかし彼は、かつて覇権国であった王たちと同じような性質を持つ、ある人物に非常に似ているのです。それは、ギリシャの王セレウコス朝シリヤのアンティオコス・エピファネス4世です。

 

反キリストの性格は、この人物に酷似しています。反キリストはその人と同じ性格と言ってもいいでしょう。2面性を持ち、突然条約を翻し、世界で最も残忍で残酷な事をする人間です)

 

大患難時代の7年間のスタートは、反キリスト出現に伴って、激しい戦争が起こり、激しい飢饉が起こり、疫病が蔓延します。

 

終末の時代(=主の日/ヤコブの悩みの時/大患難時代/ダニエルの70週の最後の1週)には3年半と3年半で7年間、反キリストが悪魔の下で働きます。彼が7年間世界を統治し、さらに後半の3年半を自分を神と宣言して世界統一社会を興します。

 

人類史上、本当に世界統一社会が興るのは「その3年半だけ」です。後にも先にも3年半だけです。反キリストがその期間、独裁者として何でも行えるので多くの人が死にます。反キリストを神とあがめない者はすべて処刑されます。

 

聖書では、人類史上、世界統一はその3年半の1回の出来事なのです。後にも先にも人類史上その1回、3年半の期間だけです。

 

世界統一に関して、一つ加えるとすると、創世記11章に出る「バベルの塔」の出来事が思い出されます。シヌアルの地、すなわちバビロンの地(現イラク・イランの土地)でそのプロジェクトが起こりました。人類史上初の、世界の統率者は「ニムロデ」という男です。彼が率先して神様へ反旗を翻したのです。

 

この時の時代、世界中の人は今現在の世界の英語のように、世界の共通語を持っていました。もちろん地域や民族の母語もそれぞれ持っているのですが、世界共通言語を使って一大プロジェクトを完成させるべく、皆一丸となって天より高いバベルの塔を建てて、神様を超えるのだと、神様に挑んだのです。

 

前述の堕天使ルシファーが神を超えようとして追放されたこととパターンは同じで、似ていますね。

このバベルの塔の時も彼らは、自分たちは神より賢くなれると高慢になります。神様は、これらの者たちがこの地に集まり、同じ共通語を話してこのようなことをし始めるならば、彼らがすることに対して不可能なことは何もない、と言われました。

 

そこで、神様は彼らの国や民族の言葉を変えてしまい、それぞれお互いの言葉を通じなくさせたのです。彼らは仕方なく、言葉が通じる者同士を探して集まるようになりました。そして神様は、彼らを全地に散らばるようにされました。そこでバベルの塔プロジェクトは頓挫しました。

 

そもそも、神様は全地へ散らばりなさいと言われていたのに、いう事を聞かず、バベルで自分たちが集まって自分たちのしたいことをしようとしました。

この出来事は、人類史上初の世界統一の試みであったと思われます。彼らは現代のグローバリストにも似ています。

 

バベルの塔プロジェクトが頓挫したように、現在の世界統一社会=新世界秩序も何かの要因でどこかの時点で、頓挫するだろうと考えられます。そう思う理由は、この新世界秩序が、大患難時代と全く違うからです。それゆえ、この新世界秩序の計画の完成はあくまで「前座」でとどまることでしょう。

 

さて、話を元に戻しますが、聖書によると、神様は世界統一社会、ワンワールドを形成せよ、などとは当然言われません。神様は世界の諸国、地域・文化をそれぞれに与えてくださるのです。

世界統一の専制政治や独裁社会ではなく、永遠に諸国の民の栄光を与えてくださるのです。日本人なら日本人、なのです。

皆同じではなく、それぞれの国の民たちにそれぞれの性質、賜物を与えてくださるのです。今でいうところのナショナリスト、というような感じでしょうか。

 

未来においても神様は、「諸国の民がその栄光をたずさえてくる」、と言われています。神様はそれを喜んでおられるのです。この先にある御国、新天新地においてもそうなのです。聖書によると、私たちは国々を持って生きていきます。皆同じではないのです。

 

聖書の預言(=「予言」ではなく、神様が人に伝えてくださる言葉)はすべて実現しているのです。聖書内で起こることについても、相互実現しています。これから先の世の中でも実現するでしょう。近未来と思われるヨハネの黙示録の記述も実現します。

 

WEFなどの人間やDS,ネオコンたち、魑魅魍魎は、聖書の模倣ばかりしているんです。なぜかというと、彼らは創造ということが出来ないのです。悪魔が創造できないから、その手下も同様なことしかできません。

 

監視社会、管理社会をしたがるのは、彼らが全能ではないからです。神様は全知全能ですから監視したり管理したり洗脳させたりする必要は全くないのです。そんなことをしなくても神様は私たち一人ひとりのことをすべて知っておられます。私の髪の毛の数も、スズメの羽の数もご存知です。

 

どうですか、神様の全能と、悪魔の傘下の知能、能力と、どれだけ違うか分かりますか。比べ物にならないのです。ところがもう彼らは自分たちが全知全能だと宣言しています。

なんと哀れで勘違いな人たちでしょうか。彼らは自分が母の胎内から出て人間として生まれて来た経緯すら知りません。それのどこが全知全能なんでしょうか?

 

天地創造ですべてのすべてをお見通しである遍在(へんざい)なる神様に全く及ばないので、偏在(へんざい、同じ音声ですが”偏り”の意味)の悪魔は人間を使って監視カメラや顔認証や遺伝子検査やなんやかや色々やらないと、人々を支配し統率することができないのです。

 

悪魔もその悪党どもも被造物なので、実際のところ、そのようなやり方しかできないのです。彼らが、素晴らしい最新テクノロジーがどうのこうのと自画自賛しても、彼らと神様の知恵とでは全くもって比べることなどできません。

 

高慢になって自画自賛している者は本当に愚かです。今現在のテクノロジーは世界中の問題を解決することすらできません。

 

そのような彼らは、自分がどこから来てどこへ行くのかも知らないし、自分の体全部も知らない。哀れでもある、最も愚かな人たちです。

 

今現在、WEFとDS、ネオコン、悪魔の陣営にいる人間はある意味、大患難時代の「前座」をつくっているような人たちです。悪趣味なユートピアをつくり、すべての人を支配しようと猪突猛進で動いているのです。

 

驚くことはありません。こういったことは終末の時代に近付くにつれ、必ず起こるのです。そして、なぜこういうことになっているのかは、「非常に単純なこと」なんです。

あまりにも単純すぎて、聖書も神様もほとんどの人は信じないのです。

 

 

 

■ まとめていうと、

 

 神様が天地創造をされた→ 

 

 

 大天使が自分も神のようになろうとして高慢になり堕落してしまいました。天から追放され悪魔ルシファーとなった。そして全天使の3分の1の堕天使を自分の味方につけた → 

 

 

 ルシファーは神への反逆で燃える火の池地獄に永遠に入れられることが確定した。→ 

 

 

④ 以降、ルシファーは自分が神様に滅ぼされることを知っており、自分の延命にやっきになりますが、行先はすでに神様によって決定されています → 

 

 

 それならばと、自分もろとも神様がつくった人間を1人でも多く地獄へ道連れにして、人間を堕落させ、神様を礼拝したりしなくなったり、神様に近付けないようにして、間違った物事をどんどこどんどこ人間に吹き込んでいきます。

 

共産主義の概念は悪魔がそそのかして、「これという人〔=悪魔を信じ慕い従順になる人〕」に与えたものです。この終わりの時代にはさらに、マルクスエンゲルス等の悪の教科書の教えが拡大する一方になっています)。 → 

 

 

⑥ 人間が神様を慕いあがめないように、悪魔と手下は毎日せっせと働いています。教会にいるクリスチャンたちより熱心に24時間働いています。神様への信仰を持たせないように、あの手この手で人の目を真実から逸らせます。

 

(WEFその他の世界の悪党たちは、実際のところ、自分たちの計画である「世界支配、世界統一」をせっせと行っていますが、その「本丸」の真相が何なのかが全く分かっていないのです。

悪魔は下請けの手下の人間に実行させているんですけれども、悪魔の究極の企みについては分かっていないのです。ですから彼らも惑わされてはいます。(できれば彼らも回心してほしいと思います。)→ 

 

 

 まとめると、WEFなどの人間は「悪魔の手下としてのパペット」であり、彼らは悪魔と道連れの運命をたどることになります。

 

(*悪党たちが神様に悔い改めることができればいいですが、それは非常に難しいことだろうと思います。悪魔と契約している人には特に。ただし、神様に出来ないことはない。その答えは神様にしか分かりません。

 

聖書には『いのちの書』というものがあり、それはもっと後の行程になりますが、そこに名前が書き記されているか書き記されていないか、神様はそれで分かるのです。

 

”後の行程”と言いましたが、厳密にいうと神様には時間の概念はありません。人間社会のように時間に沿って生きておられません。

天地創造より前から永遠の未来まで、神様は常にいつも同じであられ、最初から最後まで時間とは関係なく、すべてのことを知り、すべてを見通されているお方なのです。)

 

 

 

■ おわりに 

 

悪魔とそのパペット人間たちは、世界中すべての人間を迫害してきますが、神様を本当に信じている者たちは彼らに屈することはありません。

 

その後には御国(千年王国)、そして、新天新地(新しいエルサレム)で永遠に神と共に住むことができます。

 

悪魔とその軍勢、悪党人間の側に関わらないように気を付けてください。

悪魔とその傘下の堕天使、悪魔側に立つ高慢になって腐敗した人間は、悪魔が行う通り、最初から詐欺師であり嘘つきであり略奪者であり人殺しをする者となります。

 

(これは私の毎朝の祈りの冒頭の一部ですが、)今の時代の期間、神様が大患難の前に全世界の人を振るわれ、明るみに出されます。

私たちは目を覚ましましょう。他の人たちの目も覚ましましょう。自分も神さまに開け放しましょう。

それは主の憐れみ、恵みです。光のある間に自分を清め神様に立ち返り主の救いを頂くための期間です。

 

 

エペソ人への手紙6章10-24節

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

 

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。

 

そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
足には平和の福音の備えをはきなさい。

 

これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。

 

救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

 

あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

 

また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。

 

私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

……

信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。

朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。