あん子が死んだ

今朝も昨日のような雨の続きかと思われたが、2時間遅れ位でヤギたちを外へ出した。その後は幸い、降らなかった。

ちょうど昼過ぎ、あん子の世話をして、状態が落ち着いているようだったので、私がちょっと外出している間に死んでしまった。「すぐ戻るから待っててねー」とあん子に言い、お祈りをして、私が出て行ったほんの5分10分後のことだったようだ。知らせを受けて、すぐ家へ戻った。スクーターで新聞を買いに出ていたのだが、泣きながら運転して帰ってきた。

すでに硝酸塩中毒だろうと思われる症状で衰弱していたので、付きっきりではいたが、死ぬ間際までよろよろだけど歩いていろんな草を食べ、配給した草も食べ、薄めたポカリもごくごく飲んでいた。哺乳瓶を食いちぎるような力で吸い付いて驚くぐらいだった。あん子は予断を許さない状況とは認識していたが、まさか今日の昼に突然とは思わなかった。あと10分程後だったら看取ってやれたのに。

元々11月にうちへ出戻った時にも助かるかどうか分からない体調、衰弱ぶりではあったが、じわじわ快方へ向かっているように見えて、希望が見えてきていた。あん子自身の生きる意欲も大きいと思えた。そんな矢先、熱帯低気圧で1日中ヤギが外で草を食べられなかった日(1月8日)、私が市場で買ってきた空芯菜を誤って与えたことで思わぬレベルの硝酸塩中毒のダメージが出た。

これは私の誤りで、悔やみきれない。ここでできる手立て、手は尽くしたが叶わなかった。あん子は元々は人懐こく肉付きの良い優良ヤギで決して早死にするようなヤギではなかったのに、人の大きな誤りと天候の不幸など悪い方向へばかり追いやってしまう結果になった。あん子には何度も詫びて、今日の昼、最後に接していた時も謝った。

あん子に生きていてほしかった。(あん子:2015年4月17日生まれ。1年9か月の黒ヤギ。たま男の双子の妹。頭に白いハート型の模様がある。死んだとき、なぜか麦男の小屋へ歩いて入っていって中で配給した草を食べたりしており、そのまま休んでいて、麦男の小屋で静かに息を引き取った。)

あん子はうちで生まれ、うちで死に、この2か月、そして特にこの10日間程はあん子の世話でベッタリだった。最後の3、4日間程は朝・昼・夜中となく小屋へ行っては付き添っており、給餌したり、撫でてやったりさすったり、反芻できるようマッサージしたり、話しかけたり賛美をしたり、あん子と気持ちが通うようになっていたと思う。死の直前ではあったがこれだけ密接にあん子と居られたことは本当によかった。

反芻が困難になった時も賛美、リパブリック讃歌(Glory, glory, hallelujah!というコーラスでよく知られる)を歌うとなぜか反芻が上手くいって、今日死ぬ間際まで自力反芻が出来るように回復していた。

うちにはたくさんヤギはいるが、あん子の変わりは居ない。さっきまで居たのにもう居ない。まだ若く無念の死でもあり、心に穴が開いてしまった。