礼拝Day 

早くも第2週。今日は午後から雨。蒸し暑いのに肌寒くなった。

今日の礼拝はユース、子どもが多かった。いつも多いが、今日は初めて来た子、メンバーの子の親戚やご近所や友達などだが、多かった。

いつもいるコアなユースの子たちの一部。

日本の教会ならユースと言えば20−30代位を指していることが多いが(時に40代でも!)、うちの教会は元々子どもや10代の子が大半なうえ、小学生から10代がユースと言われている。20代となるともうユースのリーダーという立場になっている。

今日、バレンタインデーで、フィリピンは結構バレンタインデーが盛んなので、子どもやユースにチョコを持って行ったら瞬時になくなってしまった!その素早さに驚いた。こっちの人は子どもから大人までチョコが好き。

こっちではバレンタインデーはチョコというより、男性から女性へ花束を贈ることが多い様子。女性から男性へチョコ、という習慣は日本だけ?!

さて、今日の礼拝メッセージでは、クリスチャンの価値観の優先順位ということが焦点となっていたが、こういったメッセージテーマはうちの教会では多い。メッセージの最後に、スティーブ・ジョブズが亡くなる前に言い残した言葉について紹介されていた。

抜粋&要約すると、

最期の時までを病室のベッドで迎えていたジョブズは、病室ではずっと自分のこれまでの人生を振り返っていた。
自分は世界的な成功者となったが、仕事の成功において感じた幸せはほんのわずかであった。
いくら富があっても、命を救うことはできない。
成功する事や富を得ることを人生の目的にしてはいけない(と忠告)。
(最後の締めくくりには、)どうか、皆さん、人生において家族や配偶者、友人や隣人たちともっと共に過ごすようにしてください。

という言葉だった。私はここまでのところApple製品とは無関係に生きてきたしジョブズについての本等も読んだことがなかったが、間もなく死んで行こうとする人の言葉には真実さと重みがある。

聖書に、

「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26)

ということばがあって、ここで書かれている”いのち”というのは、ジョブズの語った言葉の指すこの地上での肉体の生命ということではなく、肉体が死んでもなお続く神様から頂く“永遠のいのち”ということを指している。しかし、いずれの場合も、どれだけ成功して富があっても死を解決できないし避けられない、遅かれ早かれ人間の死亡率は100%であるし、治療のできない病気は治せない、肉体の生命も、聖書に書かれている”永遠のいのち”も自分の成功やお金では買えない、という点では全く共通している。

では、どのようにして肉体や永遠のいのちを買う方法があるのかというと、人の稼いだ金銭では買えないが、神様からタダでもらうことはできる。なぜタダなのかと言うと、イエス・キリストがすでに自分の命と引き換えに、私たちに代わって人間全員の代金を支払ってくれているので、私たち自身が支払う必要がない。必要がないというか、その金額は私たちには(ジョブズの富をもってしても)支払えないほどの高額なものであるから、”誰も買えない”というのが実際のところだ。そんなものを買うお金を持つ人は誰一人おらず、神様にしか支払えない額なので、神様に支払ってもらい、神様からの一方的な厚意によってタダでもらうしか人間にはなんら方法がない。

と、いうのが聖書の約束する“救い”に関する要約と言えると思う。

人が生きている間の優先順位としては、最も買えないものが一番上、金銭で買えるものほど下位になると言ってもよいのかもしれない。