先日、宇宙人は堕天使・悪霊だという考察を述べました。
そのスピンオフ(?)として、最も優れた美の極みの大天使が堕落し、悪魔(ルシファー)となったことを見てみます。
長々となると分かりづらくなるので、キリの良いところで続けていく予定です。
今日はその箇所は言及しませんが、イザヤ書14章12-18節と、エゼキエル書28章12-17節にもっと詳細が書かれていますので、またそれはのちに。
■天使が創造されてから人間が創造されている
まず、天使についてですが、聖書は天使の創造についてのことを特に記しておられません。そういう経緯は端折られています。重要ではないからでしょう。前にもお話しましたが、聖書は必要だと思われることしか書かれていません。
天使について分かっているのは、「人間の創造以前に天使は存在していた」ということです。天使は人間を助け、人間に仕えてくれる存在として神様が創造されました。
順番として、天使の創造のあとから人間が創造されていますが、神様の大傑作は天使ではなく、肉体を持つ「人間」なのです。神様は人間を天使より上の存在と見なしておられます。神様は人間を神のご性質と似たものとして創造されました。神様は人間を特別に祝福してくださっていると言えましょう。
■天使の存在が垣間見れる箇所
創世記1章1節、2節でおぼろげながら分かってきます。
↓↓
■創世記
1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
この初っ端の箇所は、良く注意して見ないと、重要なことをすっとばしてしまう箇所です。
1章1節と2節はそのまま繋がっているのではなく、1節と2節の間は期間が空いているのです。
1節で神は天地創造をされたのに、突然2節では、地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた、と言われています。
それは素晴らしく美しい創造ではなく、闇の世界のような、地が破壊されたあとのようなものとなっていて、神様がつくるものとはかけ離れた有様です。
神様は、美しくないようなものをつくったりされません。ご自身の最高傑作しかつくられません。神様こそ永遠のクリエイター、創造主です。
1章1節で、神様は素晴らしい天地創造をされましたが、次の2節はそれと全く違う形相になっているのはどうしたことか!?
とすると、この2つの節の間で「何かもの凄い破壊的なことが起こった」ということが導き出せます。神様は形の定まっていないようなもの、むなしいものなどをつくられません。
神様がつくるものをし損ねて失敗したなんていうことはあり得ません。
とすると、1節での天地創造は一旦破壊されたということが伺えます。神様の美しい創造を破壊したのは誰ですか。神様がつくった天使です。ここではまだ出てきませんが、聖書では天使の3分の1が堕落して堕天使・悪霊になったと書かれています。
神様の最初の創造を、最も優れて美しい大天使とその手下が神様に反逆したのが最初の創造の破壊です。
天での天使のうち3分の2の天使は神様の側に立ち、3分の1は悪魔について行き、戦いが起こったはずです。その残骸のような状態が1章2節です。
1章2節では、神の霊が水のおもてをおおっていた。→ 聖霊様が水の上を覆っておられた。
そして、1章3節、 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
1章3節で、再びの天地創造です。
最初の天地創造と、1章3節の天地創造は、天使たちが天で神様に仕えていたものたちの場所とでは全然違うのです。神様はもう一回同じものをつくられなかったのです。
また再び創造する時、神様はまたまた前回とは違う、新しい創造の世界をつくられました。
特に、聖書を読む人の中で、第一天地創造とか第二天地創造とかは言いません。最初は神と天使で、次は神と天使と、堕天使と、人間ということで違っているので第一、第二みたいな呼び方はないです。
(*まず、1章1節と1章2節で天使・堕天使の戦いで神様の創造に破壊が起こり、期間があるということを意外と知られていないことがあります。なので、第一の天地創造だとか、第二の天地創造だとか呼ぶと、混乱して誤解をまねく人が出てしまうので、あえてみんなそういう呼称は避けているのかもしれませんね。)