ユキちゃんが死んだ

早朝、見に行ったら痛ましいことにお隣宅のヤギのユキちゃんが虫の息ではあるがかすかにまだ生きていた。またアリ除け、日よけ、薬などを付けて、少し態勢を変えてあげたりしてとりあえず帰宅までしのごうと思った。飼い主一家はもう放置したたままだ。

悲惨な状態なのに、生命力が驚くほど強くそれが逆にあだになってしまった。こっちには家畜動物をすぐに見て貰える所がなく大動物を扱う民間の医者もいないのだ。明日、市役所へ(平日しか開いていないので)たとえムダであってもユキちゃんにせめて最善を尽くしてやりたいと思い、往診もないだろうから運んで持って行ってやろうかと思っていたくらいでいた。

本日は礼拝で、アメリカからの牧師が2人来られていて、メッセージが3本もあって礼拝が長引き、帰宅したのが12:45ぐらいだった。ピトイさんに送ってもらい、車を降りてそのまますぐ見にいったら、ユキちゃんはもういなかった。きっとまだ虫の息ではあったけれど生きている間に殺してしまったのだろう。

あの残酷な状態から解放されたとも言えるが、まだ3歳足らずで、まさか3年前にユキちゃんが生まれた時に、その最後がこんなに悲惨なものになるとは誰が想像しただろう。

今朝はもうほとんど声が出ていなかったが、かすかなファーファーという鳴き声を出していた。その声があまりにも痛々しく、哀れで忘れられない。この数日、どれほど痛くて苦しかっただろうかと思うとやるせない。

私がヤギを飼った理由は、ここへきてすぐに生まれたお隣宅のユキちゃんがあまりにも可愛かったためで、思い返せばいろいろな思い出がある。これまで私はたくさんの動物を飼ってきたが、そのどれも忘れることはないし、ユキちゃんのことはずっと忘れないだろう。

日本人とフィリピン人とは性質が対極的で、彼らは日本人のようには動物を飼えないだろうけれど(多分ペットロスなんていうものも無縁だろうし、精神科やメンタル系クリニックやカウンセリングとかもないし)、せめて自分にゆだねられている命というものをもっと大切にして、責任を持ってほしい。聖書もそう教えているのに。

■ユキちゃんの記録。
2012年の8月後半に生まれて、これまでにメス3匹、オス2匹の計5匹を産んだ。メス2匹のうち1匹のギンちゃんは大人に成長したが犬に噛まれて死に、もう1匹はなんと珍しい3つ子だったため、虚弱気味で昨年末の台風の中、雨風で冷えたために死んだ。オス1匹、牛男くんは先月にとさつされフィエスタで食べられた。

現在、お隣のユキちゃんの残したヤギは、娘ヤギのキンちゃんと息子ヤギの黒男くん、キンちゃんの娘の孫ヤギ2匹で合計4匹が生きている。(が、次回のフィエスタでまた何匹か食べる予定なのと、残りは別の町の親戚へ譲るそうだ)

在りし日のユキちゃんとお母さん

私や母ヤギの背中に飛び乗ったり、とにかくかつてないほどアクティブで人懐こかったのがユキちゃんだ。うちのヤギにもそんなのはいない。しいて言えば麦男が似ている。

仕事が忙しいことが逆に気持ちが逸れて幸いになるかもしれないが、ユキちゃんの死はなかなかしばらく立ち直れない気がする。食料として食べられたのでもなく、ただただ他人や飼い主の無責任や不注意による無駄な死、私には受け入れがたい死であって、ユキちゃんに何の責任もない、しかも残酷な最後だったからだ。