礼拝はUSからのゲストメッセンジャー

今週、近くのリトリートハウスで弟子訓練のセミナーが行われる。その講師のアメリカ人牧師お二人(クリング・デイビス師、ポール・ムーン師)が今日、うちの教会でメッセージしてくださった。

 

礼拝が3時間超に渡っていたので、抜粋できないが、本日私は先のユキちゃん(隣のヤギ)の一件やそれに関するこちらの人たちの性質、感性のギャップをどうとらえていくべきかと消沈し祈ってもいたが、落ち込んでいるので気分的には外へ出たくもなかった。

しかし、神様の前へ出て行くこと、自分の思いすべてを神様に持っていき答えを受け取ることなしに何の解決もない。他の人にも答えはない。私には、神様にどうしても聞かなければいけないことがある!そう思って礼拝者として出て行った。

今日のメッセージでは非常に重要なことが語られていたので、全部挙げることができないが、私が直面している問題に関して答えを頂いたと思えたところは、ヨハネ21章21−22節のメッセージで、

ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」。イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。

という所で、「“あなたは”わたしに従ってきなさい」ということだった。要するに私に問われているのはほかの人のことではなく、まさに自分のことなのだということだ。