田舎の迫害

今日の礼拝後、いろいろなお知らせ・伝達事項のあと、引き続いてアグネスが前に出てきて、祈りの要請を行った。
それは、地元バランガイでのカトリックの人たちからのアグネス家族への攻撃がひどいということだった。これまでにも何度か同じような危機があった。

アグネスは公立小学校の教師をしているが、バランガイの役員や校長、地元で比較的金持ちで力のあるいくらかの教師たちがアグネスをクビにしようとこれまでも数度企んできた。毎度私たち周囲のメンバーも祈ってきて、幸い、これまでのところはクビにならずにすんだが、根本的な問題は解決していないので、何かのきっかけがあるたびに同じような嫌がらせが起こると思う。

今回のきっかけは、昨日パングラオ島のいくつかのバランガイで行われたサントニーニョ(=幼いキリストの像)の祭りにアグネスが参加しなかったことだ。

聖書、イエス・キリストを信じるまともなクリスチャンであれば、サントニーニョの祭りには参加しない。それは日本で言うと、私たちクリスチャンが神社仏閣へお参りしたり、仏像や地蔵やお稲荷さんやらなんかかんやを拝んだり、お守りを持ったり人間をあがめたりしないことと同じで、有り得ない行為だ。

何にせよ、こういったことはいつの時代、どの国でも程度の差はあれ起こっていることであり、神の国が来るまではますます起こり続けるだろう。時代と場所が悪ければそのために殉教することにもなり得る。日本にも何度かそういう時代があった。太平洋戦争の時代にももちろんあった(天皇を神とすることを拒否したため)。

アグネスがクビにされるとすれば、全く理不尽なことだ。その悔しさや悲しさは分かる気がするし、私も聞いていて涙が出てきた。旦那と共にアグネスのために彼女と一緒にお祈りをした。

こういった場合、私たちにできることは二つある。一つは、人が何をしてきたにせよ自分自身は聖書(神さま)に従うこと。もう一つは神さまに祈ること(人に祈って貰うことも含めて)だ。
それから、この場合だともう一つ、私自身の意見であるが、学校側にクビにする正当な権利などないということをはっきり伝えることぐらいはしておいてもいいかと思う。

明日、結果が言い渡される予定になっているそうで、実はアグネスの同僚のうちの教会メンバーのアナリスもアグネス同様、クリスチャン(プロテスタント)だということで学校から目を付けられていて、明日呼び出しを食らっているそうだ。彼女は家族からも嫌がらせを受けている。

ちなみに、他の数人の教師もセントニーニョの祭りに参加していなかったが、彼らは地元で有力な家の人でクリスチャンではないので、全くおとがめなしなのだそうだ。

「人間に従うよりは、神に従うべきである。」(使徒5:29)

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)

こういう問題はそもそも、そういった周囲の人々そのものと闘っても本質的には意味がなく、霊的な問題なのだ。だから、その人たちそのものを憎んだり仕返ししたりしても全く意味がないどころか、むしろ自分にとって害になってしまう。自分の中に悪意が広がって、自分が罪をおかしてしまいかねない。

本当の敵はその人たちではない、ということを感情的には難しいけれど、理解して信仰によって行動しないといけない。
もちろん、自分が当事者でそれをやるとなると感情的には非常に難しいことだと思う。だから、私たち周囲の人は、アグネスが感情に流されず、しっかりと信仰に立つ言動ができるように、とりなして祈っていく必要がある。

■サブ子の叫び?

舌が赤と黒の2色になっているので、やはりヤギの舌の色は、年で変わるのではなく、模様の一種でブチがあったりなかったりするんだと思う。


今日もお腹パンパンに食べました!満足なサブ子。