母の日礼拝

フィリピンでも母の日を祝う習慣があって、今日はメッセージも母の日にちなんだ箇所、箴言31章やエペソ5章等などから、リッキーがビサヤ語で語った。

母の人たちに子どもたちが母への感謝をつづった歌を歌い、そしてカーネーションならぬ赤いバラを手渡した。やっぱりカーネーションってのはこっちでは売ってないのかもしれない。

私も母ではないが、毎年“ヤギの母”として仲間に入れてもらっている。ほかに、やっぱり母ではないが数匹、犬を飼っているジョイミーなんかも“犬の母”として混じっているのだった。

今日も人が入りきれないほどになっていた。最近人が増えているし、せっかく昨年移ったこの会堂も、また新たな広めの場所へ移らないといけないかもなーという話も出ている。どうなっていくかは神さまの導きをみんなでよく祈っていきたいと思う。

ビサヤ語メッセージも、単語は割と分かるようになってきたが、なにぶんビサヤ語に関しては文法力が欠けているためやっぱり意味として分からないことだらけ。おおよその推測でしか分からない。

それにしても今日も同じアパートの奥さんが普通にビサヤ語で全力喋りをしてきたり、以前セブの英語学校に居た先生が普通にビサヤ語でメールを送ってきたりして、なんかもっと(私がビサヤ語が)できるのだとすごい勘違いされている気がする。

でもやっぱり私たちも地道に勉強してもうちょっとレベルを上げていかないといけないと思う。私は、差し迫らないと何もしない怠け者の性分であるため、最近礼拝メッセージがビサヤ語オンリーの事が増えたりという、そういったプレッシャーでもなければ実際のとこ真剣にならない。今のところビサヤ語だけでメッセージをするのはレジとリッキーのみだけど。
ま、私はビサヤ語は好きなので楽しみながら覚えて使っていきたい。