2人の主人に仕えることはできない

今日の礼拝はYoung Worship Dayで、教会学校の小さい子から大学生くらいまでの子が中心に礼拝賛美を行った。とは言っても日本と違ってフィリピンの教会は子どもや若い子の比率がとても高いので、いつもとすごい変わるわけではない。まぁ正直あんまり変わらない。

若い世代が多いのはいいことだ。日本だと“ユース”とか“青年ナントカ”と名前が付いているイベントでも30代とか40代が普通に混じっている。30-40代はユースやなく中年やろ! また、日本の教会は老害(=上の世代が下の世代の成長を意識的あるいは無意識的に阻害すること)もひどいと思うので、私も自分がそうならないように密かに気を付けている。
教会のように赤ちゃんからお年寄りまで全世代が一緒にいるような場では、ある程度の年齢になったら自分が前へ出るのではなく、若い子を育て、応援し、彼らが活躍できるようにサポートする立場でいたほうがいいと思う。それがかっこいい大人ってものじゃないだろうか? 

さて今日の礼拝メッセージは、「2人の主人に仕えることはできない」(マタイ6:22-24)というテーマだった。あなたは何に焦点を当てて生きているのか?それを問うメッセージだった。
聖書は、神と金(この世の繁栄)の両方に仕えることはできないと明確に語っている。イエス・キリストは「二心の人たち。心を清くしなさい」と二心の人を強く戒めている。そう、私たちは二心を持って自分を欺き、神を欺いてはいけない。そういう人の末路は哀れだと聖書は語っている。
世の中で生きていくために重要なものはいろいろあるだろうが、何が一番大事なのか、そして自分はその第一のものを本当に第一にしているのか、そういうことを常に考え、軸がぶれないようにしておかないと、気づけばブレブレで迷走するだけの人になってしまう。