ビーチ礼拝と洗礼式

第一日曜は基本的に野外礼拝+聖餐式を行い、お昼もみんなで持ち寄りして現地で食べる。午後はミーティングしたりその辺で遊んだりしてまたみんなで帰る。

今日は、私たちは物件案内で昨日も来たビーチで礼拝した。昨年10月もここだった。そのときも洗礼式がここで行われた。
今回は、事前に4人の子どもたちが洗礼を受けると聞いていたが、その後増えて6人になっていた。小学校高学年の子どもたち5人と、若い奥さんが1人。

 

昨年10月頃と違ってビーチが狭くなっていたので、近くのプライベートビーチに入れてもらってそこで行った。

前は洗礼式の後に礼拝だったが、今日は礼拝後に洗礼式をした。礼拝後、ガムさんが洗礼式を受ける人、受けたい人へのメッセージを語っているとき、若い奥さんは泣いていた。
私も毎度のことながら洗礼式と、そのとき受ける人たちを見ると圧倒的な感動を受けて涙が止まらなくなる。私は全く涙もろくもない性格だけれど、私が人生で一番感動するのは洗礼式ではないかと思う。
イエス・キリストを自分の個人的な主、救い主であると心で受け入れた人が、人前で公に宣言するのが洗礼式だ。私たちはフィリピンに来て1年だが、3回・計8人の洗礼式を体験した。

洗礼を受けたばかりの奥さんと旦那さん。感動して抱き合っていた。旦那さんのほうは以前からクリスチャンだった。以前うちの教会に居た人らしく、引っ越して今は別の所にいるそうだ。だから私は初対面だった。

クリスチャンの定義は、イエス・キリストを自分の主、救い主と受け入れる決心を自分自身でした人のことで、それ以上でもそれ以下でもない。ほかに条件は全くない。どんな人でも受け入れれば救われる。
親が熱心なクリスチャンだからとか、幼児洗礼を受けたからとか、自分の国がクリスチャン国だからとか、良い人だからとか、聖書をよく知っているからとか、そんなこととは全く関係なく、あくまで自分自身が個人的に神さまに応答し、信じる決心した人だけがクリスチャンだ。周囲の環境や周囲の人とは無関係、非常に個人的なことなのだ。

その後は、第1日曜に行っている聖餐式。大抵の教会では洗礼を受けた人のみ聖餐式を受けることになっているので(例外もある)、今日受けた6人にとっては初めての聖餐式となった。

今回受けた5人の子どもたちはいつも来ているレギュラーメンバーで、ここしばらくだけでもすごく変わってきたのが分かった。しっかりしているし小さい子どもたちの面倒を率先してみている。頼もしい。

そしてやっと昼ごはん。今日は鶏のレチョンもあったし、スイカ1玉あったのでかなりスイカをいっぱい食べた。

その後、バスケに熱中する男たち……。

私は毎週野外でもいいんじゃないかと思うほど、会堂より野外のほうが好きだ。元々、キリスト教会は会堂を持っておらず、イエス・キリストも野外のいろんな場所でメッセージされた。ガリラヤ湖のほとりに立ち、そばに咲いている花や頭上を飛んでいる鳥を指さしながら話されたのだ。
初代教会でも誰かの家などを借りてやっていた。私は屋外のほうが自分たち自身も教会の本来の意味を感じ取りやすいと思う。