今の日本がやっているのは自殺キャンペーンだ [福一放射能事件関連]

私がお世話になっている在米邦人クリスチャンのサイトに2日前に書かれていたこと、全く同感だったのでメモっておく。

(以下引用↓)
自分の意志で福島の自宅に戻ることに決めた? これは自殺か?(YES)
戻ることに決めた人々を自動車で連れていってあげた? これは自殺ほう助罪か?(YES)

親の考えで自分の子供を福島の自宅に連れて戻った? これは殺人か?(YES)

国が決めたこと。これによって人々が死んだ? これは殺人か? (YES)
国が決めた? 賛成票を入れた政治家は殺人犯か?(YES)

安全と発言した政府の人間は殺人犯か?(YES) 

安全と発言した学者は殺人犯か?(YES) 
安全と発言したマスコミは殺人犯か? 殺人補助罪か?(YES)

汚染された食物と知りながらこの食材を使って料理して自分で食べた。これは自殺か?

汚染された食物と知りながらこの食材を使って料理して他人に食べさせた。これは殺人か?
(食堂、レストラン、学校給食、、、、自宅で親が家族につくったもの、、、)

関連:
死亡率の高い流行病の地域があるとします。(例えば死亡率の高いエボラ熱。あるいはインフルエンザ)

自分の意志でこの地域に行くことに決めた? これは自殺か?(YES)
この地域に行くことに決めた人々を自動車で連れていってあげた? これは自殺ほう助罪か?(YES)
親の考えで自分の子供と共にこの地域から避難しなかった? これは子供殺しか?(YES)

注意:私は法律の専門家ではありません。(YES)としたのは私の意見です。

(↑引用ここまで)


前エントリーにて、教会で放射能汚染食材を出して人を招いてはいけないという内容のことを書いたけれど、上記のようなことを私は言いたいのだ。

例えば教会がボランティアチームを作って被災地支援を行ったとする。企画した教会側がそのリスク(御用学者や日本政府基準ではなくあくまで“真実のリスク”です!)を知らせないまま、参加した人に健康被害が起こったり、死亡したら……どう責任を取るつもりなのか? 

すべてのリスクを認識して、そのうえで特攻隊精神で臨む人がいたとして、人が忠告しても引き留めても言うことを一切聞かないなら、もう仕方がないとは思う。けれどそうではない限り、リスクをよく認識せずに人を誘った・誘われた形になるので悲劇だ。

もちろん教会という団体に限らない。政府や自治体も除染ボランティアを国内で広く募っているので、リスクを知らない善意ある人達がうっかり参加したりしないようにと危惧している。
参加したいという人は、チェルノブイリで民間除染作業をした人達がどれぐらい死亡したかお分かりなのだろうか?
募った側、応じた側、双方無知のまま“善意”“人情”だけで物事を判断してはいけないのだ。

私はだから、キリスト教会が被災地で“復興”活動をしていることも良しと思っていない。自分たちや周りの人を巻き込んで死や病気へと追い込んでいるのと同じことだからだ。そこに限りない“愛”や“善意”が働いているのでキツイ言い方にはなるが、事実を言っている。
本当の愛、本当の善意とは何だろうか、考えさせられる。
その場限りの、真実でない耳触りの良いことを言ってあげるのが愛だろうか? 
これは、例えばクリスチャンがノンクリスチャンに「大丈夫、死後、どんな宗教でも救われますよ」と言うような行為と似てはいないだろうか? こう言えば他宗教の人や無宗教の人は安心するだろうし、あなたを嫌わないだろうし、理解のあるいい人だと思うだろう。でも、それが愛とか善意なのだろうか? 
少なくとも私は復興作業を真の愛や善意だとは思わない。

もう二度と帰れない土地であること、永久に元には戻れない土地であることをきちんと伝える。避難すること、避難先でのこれからの生活を助ける――真っ先にやるべきことはこういうことだろうと思う。
なんだったら教会などのコミュニティごと避難して、新しい場所で助け合えばいい。

自衛できないほどの危険(放射性物質はまさにそれだ)からは逃げる、遠ざかる、のが基本だ。
家が燃えたら逃げる。家に毒ガスが充満したら逃げる。住んでいる地域が爆撃されたら逃げる。ミサイルが飛んできたら逃げる。銃撃戦が起こったら逃げる。津波がやってきたら逃げる。雪崩が襲ってきたら逃げる。猛獣が襲ってきたら逃げる。一目散に逃げる!――これらは考えるまでもなく当たり前のことで、瞬時に体が反応するほどシンプルなことではないだろうか。

なぜ放射能汚染に関してはシンプルに考えられないのだろう?