寮の空きナシ

USPの日本人担当者志保さんより寮の件で返答が来て、来年7月までは広いほうの2人部屋の空きがないとのことだった。残念。
となると、狭いほうの2人部屋に3か月間入り、入りきらない荷物を日本のどこかに置いてきて改めて引越しするか、一気に賃貸アパートを探すか3か月ほどホテル住まいか、代案を考えないといけない。

セブポットさんには早速、賃貸アパートにいきなり入らざるを得なくなるかもしれないからその頃に出物物件があれば情報くださいとお願いしておいた。
一応3月30日か31日の渡航にしたいと考えているが、まだ航空券予約はしていない。今住んでいるマンションを買い手に引き渡すのは4月11日期限としているのでそれまでは大丈夫なのだが。

寮住まいのいいところは、学校の人達との付き合いが深くなることと人脈が広がること。それより何より掃除洗濯炊事をしなくてよいので、勉強だけに集中できることだ。マンツーマンで1日6〜8時間も勉強してたら、夜にはクタクタでバタンキューになりそうだ。そっから買い物へ行って晩御飯作ってというのはキツイ。旦那が料理や家事全般ができない人なので余計にキツイ。

志保さんからは申込書も送られてきていたので、それも記入して返送した。私は事務手続き等が非常に苦手で面倒くさがりだが、インターネットがなかった時代は留学や移住にはもっともっと手間がかかったことだろう。国際郵便でやりとりしてるだけで時間がかかる。昔は飛行機代も高かったし。

入学予定日は4月9日としておいたが、考えたら結婚してから1年も経ってないではないか。
新婚早々こんなことになるとは思ってもみなかった。でも、運命共同体としての意識は深まったかもしれない。日本に居て、仕事もあって1人でも生きていける状態であれば、何かあったとき結婚を続ける忍耐が強く持てない気がする。ところが、助け合わなければ生きていけないという状態であれば、ケンカしようが嫌気が差そうが何だろうがお互いに切り捨てることはできないのだ。

普段でもしょっちゅうケンカはしている。電撃結婚の新婚でお互いのことをロクに知らないまま日本史上最大の危機に遭遇し、避難民になるのだから、ここまでのことを決めるだけでも相当ぶつかり合った。最大の争点は避難時期だったような気がする。とにかく即避難希望の私に対し、旦那は仕事の都合上来年3月末までは無理だと折り合わず、このことだけでもかなり激しくやり合った。そのため沖縄を候補としていたときは、私が9月か10月に先に移住するということで折り合いをつけていた。
沖縄、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン……候補に挙げたそれぞれの国の事情を調べて検討する間も、もう細かいことは忘れたが何だかんだともめていた。

ただし、幸いだったのは放射能汚染の危険、福一の現状(今もまだいつ爆発してもおかしくない状態であることと、4号機倒壊寸前で大量核物質飛散危機がある)、TPPの危険など、日本に居るリスクに対する認識、避難移住を最善の選択とする大きな方向性は同じだったことだ。
震災後、多くの家族や夫婦が断絶した。関係が断絶しないまでも、仕事や経済的な理由で母子避難、母子留学などでやむなく物理的に分断された家族も多い。

夫と妻、親と子ども、夫婦と義父母……放射能に対する危機感が家族全員一致することはほとんどないことが分かった。避難を考えるほど危機感を持っている人の割合は非常に少ないからだ。
私と旦那とでは人間性も考え方も履歴も生い立ちも全く違うが、幸いにして「今回の事件は日本史上最大の危機」「今の生活や仕事より命と健康が大事(=こんな悪魔の策略が分かっていながらみすみす無益に死んじゃいけないという決意)」「汚染地は復興不可能。避難・移住が最善」という非常に重要な点が一致していた。
これが違っていたら震災後多くの夫婦が離婚や別居に追い込まれたように、私たちも破局していただろうと思う。