「エコ・ファシズム」イデオロギーの弊害か救済か?

'Eco-Fascism': Ideological Scourge or Salvation?

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【PJMedia】by:ベン・バーティー 2023年04月09日 16時07分
   https://pjmedia.com/news-and-politics/benbartee/2023/04/09/eco-fascism-ideological-scourge-or-salvation-n1685818


私は以前、環境保護主義は基本的に保守的なイデオロギーであると主張したことがある。

 

例えば、コビッド19サージカルマスクの大量生産によって引き起こされたマイクロプラスチックのパンデミックのように。


現代西洋政治の絶対的なシニシズムは、環境保護主義とそのイデオロギー的なメリットについての水を濁している。

 

その結果、環境保護をめぐる言説は、文化戦争の陳腐で有害な副産物と化してしまう。

 

私たちは、真の環境問題が取り上げられるのを見る代わりに、企業国家によって、真摯な環境問題への関心からではなく、西洋の工業化経済を停止させるための口実として、「炭素排出量」についての講義をひたすら聞かされる。

 

悲しいことに、公立学校で鍛えられた大人の子供たちは、それを鵜呑みにしている。

 

彼らは、企業国家のリベラルで愛情に満ちた言葉でカモフラージュされた、環境保全という公言以外の目的を持つ、理解できないアジェンダの喜んでの下僕になるのだ。

 


しかし、ファシズム環境保護を結びつけた「エコ・ファシスト」と名乗る人たちがいる。

 

エコ・ファシズムとはいったい何なのか、企業メディアや学術文献で客観的に定義することは困難だ。

 

その支持者が主張することを、「人種差別主義者」「陰謀論者」などと中傷されることなく公平に聞くことは、機能的な代表制共和国において重要な会話が行われるはずの主流メディアでは不可能である。

 

例えば、GQの定義を考えてみると、ニュアンスもなくエコ・ファシズムを白人至上主義™と混同している。

 

エコファシズムは、通常エコテロリズムと結びつけられるヒッピーのフリンジ運動ではない。

 

エコ・ファシズムとは、通常エコテロリズムと結びつけられるヒッピーの運動とは異なり、気候変動に対処する唯一の方法は優生学と移民の残酷な抑圧であるという信念である。

 

この運動の創始者はマディソン・グラントで、カリフォルニアのレッドウッドやアメリカンバッファローの保護を目的とした最初の団体を立ち上げた人物だ。

 

彼は、ブロンクス動物園の園長として、1906年コンゴから誘拐されたムブティ族のオタ・ベンガを猿と一緒に檻の中に入れて展示した、人種科学の熱心な支持者でもあった。

 

企業メディアもまた、大量殺人犯をこのイデオロギーと関連付けることに躍起になっている。

 

 

■■ コネティカット大学経由

 

 

この言葉自体はまだ議論の余地がありますが、エコファシストであることを明言した著名人の存在が大きく影響している。

 

例としては、2019年にニュージーランドクライストチャーチのモスクで51人を殺害した男などが挙げられる。


もちろん、人種差別的な大量殺人犯の中には名目上エコファシストである者もいるかもしれないが、すべてのエコファシストが必ずしも人種差別的な大量殺人犯である必要はないだろう。

 

現代の記憶で最も悪名高いエコ・ファシストは、「ユナボマー」と呼ばれるテッド・カジンスキーである。

 

彼は現代社会の悪について幅広く論じた『産業社会とその未来』で、技術進歩が自然界にもたらす災いを大きく取り上げている。

 

爆弾テロを通して、我々は...反産業的な考えを広め、産業システムを嫌う人々に勇気を与えたいと考えている。

 

この成長と進歩のゴミを押し付けている人々は、厳しく罰せられるに値する。

 

ここに見られるように、この言葉そのものが、連想によって汚染されているのだ。

 

 

「エコ・ファシズム」は、工業化や技術進歩への根本的な反対という理由から、どのような主流運動にも受け入れられず、政治の片隅に永遠に留まることになるだろう。

 

 

しかし、エコロジー保全のメリットについて、時代の流れに沿った新たな視点が必要なのではないだろうか?