家を建てる人の話し

本日の礼拝はレジがビサヤ語でメッセージ。
レジは自分の本職である建築デザイン、パースを描く仕事の実例を画像で見せつつ〝最強の建物とは何か?”ということを話してくれた。

自然災害がほとんどないと言われていたフィリピン中央ビサヤ地区(セブ、ボホール、ネグロス、レイテ等)も、昨年のボホール地震、人類史上最強の台風ヨランダと、前代未聞の災害に襲われ、今こっちの人々は台風にも地震にも津波にも耐え得る家・建物を建てるにはどうしたらいいかと模索しているらしい。

元々災害がないことを前提に物を建てていたので、当然耐震設計もしていないし、正直、私のようなシロウト目にも〝これはアカンやろ?!”と思える工法の建物が殆どだった。でも昨年の災害をきっかけに考え方を改める必要に迫られているのかもしれない。

しかし残念ながら、どんなにお金をかけて強固な家を作り保険に入っても、それを上回る災害は起こり得る。そのとき、本当に最強の建物というのは何なのか? 
聖書ではたとえ話として砂の上に建てた家と岩の上に建てた家の違いが説明されている。

どっちも平穏時には見た目は変わらないかもしれない。でも大きな災害や苦難に襲われたときにその本質が露わにされる。砂の上の家は潰れて流されてしまい、岩の上の家は倒れずしっかりそこに建ち続けるのだった……。

現実に、基礎が浅かった家は崩れるし基礎を深く掘った家は壊れにくいということがあるけれど、聖書で例えられている本質的なことは家や建物のことではなく、1人の人がイエス・キリストという土台の上に立っているか立っていないかということについて語っている。その人が何を土台にして自分を築いているのか?ということを問うているのだった。

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイ7:24−27)