引越しを2月に早めた

……というわけで予定では1月11日まで旦那と一緒に大阪にいる。

地震→避難を繰り返すのが面倒なので、東京の自宅を引き払う引越し日を1カ月あまり前倒しにし、2月23日頃予定とした。この避難中にそのために必要な手はずを整えた。
そのままセブ島渡航するか、一旦大阪などでワンクッション置くか、その辺は間際に決める。

私は今回で緊急短期避難の感覚をつかむことができた。4号機の件は今回、幸い最悪の事態には至らなかったので、そのまま帰京できないようなはめにはならなかったわけだが、一度やっておくと、2回目以降のフットワークが違う。

それに、友人の厚意で今後の緊急避難先の目途も付いた。本当に有難い。
旦那とは、4号機がトラブった場合の手はずは昨年秋から話し合っていたので、旦那の決断、行動も素早かったし、緊急一時避難中もよくサポートしてくれた。初めて旦那の手料理(カレー)も食べることができた。改めて、そのおおらかさや優しさ、温かさ、心の柔らかさを思って、本人には言っていないが、密かに感謝した。
初日、一歩遅れて旦那が到着したときには、また元気に会えたことが何よりうれしかった。

心身も荷物も、準備はできるうちにやっておく、素早い見極め・判断・決断・行動――非常時にはそれが不可欠だ。事が起こる前に備えておく、これが基本だ。起こってからでは遅く、サバイバル時には意味をなさない。登山、キャンプなどアウトドアに強い人ならこんなことは当たり前だろう。

また、今日大阪の教会で聞いた礼拝メッセージは、まさに私たち、今危機に瀕している日本の人達へそのまま適応できる明快なものだった。
“日々が決断。そして、私たちにニュートラルゾーンなどない。自分で決められない、先送りする、という態度は余裕があるからこそできることであって、緊急時には待ったなしだ。日本人は決断を迫られるとひるむ、周りの人の様子をうかがう、結局自分で決められない”……ざっくりそういうことを指摘していた。

決断が怖い?誰かに決めてほしい?
180度考えを変えてはどうだろうか。
選択から逃げるより、まず、私たちに選択の自由が与えられている素晴らしさを感謝する。これこそ神さまからの賜物なのだ。そして、神さまにある良心に反しない決断を自ら行い、神さまが用意しておられる新しい世界を受け取っていこう。
後ろを振り返ったり、悶絶しながら滅びて行くのは私はごめんだ。

まぁ4号機に関していうなら、逃げたほうがいいのか留まったほうがいいのか迷うくらいなら、逃げておいたほうがいい。最悪の事態だったときのリスクが大きすぎるからだ。
それに対して、避難して何もなかった場合のリスクなど、交通費や宿代、仕事のことくらいで、命や健康と比較して全く大したことはないではないか。

また、悩んだ挙句やっとこさ逃げようと決意しても、そのタイミングが遅ければ逃げられない。首都圏から関西方面への道路は封鎖される可能性が高く、政府は封鎖の予行演習済み、有事には約3時間で行われるだろうという情報もある。
他ごとならともかく、4号機のことだ(ほかの原発事故でも)、迷うくらいなら行動を、と私は思う。