毎週、新たな憂慮すべき予測がなされる中、AIの限界を探ることは重要である。人間の脳は最高の基準点を提供してくれる
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マテュー・マアヴァック
(マレーシアのリスク予見とガバナンスの専門家であるマシュー・マーヴァック博士によるものです)
【RT】2023年6月16日
https://www.rt.com/news/577647-predictions-ai-human-brain/
現在、世界のインフォスケープは、人工知能(AI)がもたらす危険性を憂慮する予測で盛り上がっている。
億万長者の起業家やその部下たちは、かつてAIが出現する「テクノピア」を絶賛していたが、突然、終末論に転じた。
感覚を持ったAIは、最終的にその創造主に対して反旗を翻すかもしれない、というのである。
しかし、この主張には、「ターミネーター」シリーズのようなフィクションを除けば、何かメリットがあるのだろうか。
その疑問に答える一つの方法は、AIを、すでに利用可能で感覚を持つ類似体、すなわち人間の脳と比較することであろう。
AIは、人間の心を模倣するだけでなく、ある面では人間の心を凌駕するように設計されている。
パラダイムシフトとは別に、AIの実用性はまったく革命的なものではない。
むしろ、過去と現在の技術革新の延長線上にあるのだ。
大脳辺縁系の限界を克服するための車輪、クランク、風車、遠隔地の脅威に対抗するための弓、矢、ミサイル、そして(グローバル)コミュニケーションにおける時空間の制約を解決するためのインターネットだ。
フォグレッツ誌の注目すべき記事によると、「人間の脳は1エクサフロップで動作すると仮定されており、これは1秒間に10億回の計算に相当する」
しかし、これはあくまで推測に過ぎず、コンピューティングの指標によって定義される可能性の高い推測に過ぎない。
本稿執筆時点では、世界最速のスーパーコンピューター「フロンティア―」の演算速度は1.102エクサFLOPと報告されている。
しかし、脳とスパコンの違いは、一方が思考し、他方がデータを分析するという性質と機能にある。
私たちは数字を計算するスーパーコンピューターを発明したが、科学者たちは人間の計算機の神経処理能力に困惑したままだ。
サーカスの環境で育ったシャクンタラ・デヴィは、その典型的な例である。計算作業をするとき、特定の大脳葉の血流が異常に増加するという事実以上に、私たちの洗練された機械媒介モデルは、脳の働きをまだ完全に理解することができない。
あとは、散らばった研究、仮定、データの平面が、まだ理解可能な全体像に調整されていない。
人間の脳は、未知の部分が多すぎるのだ。
そのためか、科学界では何気なく、その主要な機能を8つか12つに分類している。
その中で、感覚はどこにあるのかは、まだ未解決のままである。
もしかしたら、すべての機能の相互作用の積み重ねの結果なのかもしれない。
あるいは、人間には感覚的な魂があり、それが他の種にはアクセスできない方法でイノベーションを起こさせるのかもしれない?
もしかしたら、AIデバイスやアルゴリズムとは異なり、脳はソフトウェアとハードウェアが一体化したものなのかもしれない?
あまりにも多くの不確定要素が残っている。
神経科学が無数の疑問とギャップに満ちた未解決の分野であるとすれば、より単純なサブセットである人工知能はどうだろうか。
人間が発明した未完成の技術が、突然命を吹き込まれ、人類を脅かすことがあるのだろうか。
人間の脳の働きや感覚の定義すら完全には理解できないのに、なぜ私たちはSF映画のプロットを現実に切り貼りしているのか?
人工知能が狭い範囲内で現実の脅威となる可能性は、仮にあると思う。
ソフトウエアの設計の甘さ、開発プロセスの急ぎ、アルゴリズムの更新の不一致など、さまざまな災害を引き起こす可能性がある。
化学工場や原子力発電所での事故、株式市場での事故、自動運転実験車での事故などだ。
しかし、不吉な感覚を持つAIが登場するというのは、まったく想像の域を出ない話である。
現在流行しているAI警戒論は、実はもっと悪質で現実的なものに根ざしているのかもしれない。
なぜなら、最終的に主人に反旗を翻すのは機械ではなく、この10年が経過する前にAIによって職を奪われる何億人、いや何十億人という労働者かもしれないからだ。
人間の脳は、AIがもたらす存亡の危機に対して、現実的なチェックを与えてくれるのだ。