【Breit Bart】2024年6月26日 オリバー・JJ・レーン著
ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジは、現地時間の6月26日(水曜日)夜遅く、オーストラリアのキャンベラでプライベートジェットから降りた。
ジュリアン・アサンジは6月26日(水曜日)、アメリカ領北マリアナ諸島のサイパンからオーストラリアの首都キャンベラに飛んだ。
6月24日(月曜日)に釈放された英国からバンコクを経由し、連邦判事の面前に立つために米国領に向かった彼のジェット機は、現地時間19時30分(日本時間10時30分、米国東部時間05時30分)頃にようやくオーストラリアの地に着陸した。
彼の家族は駐機場で彼を出迎えたが、彼自身の主張によれば、航空機が着陸した後、アサンジ氏と最初に電話で話したのはオーストラリア首相であった。
オーストラリア放送協会によると、左派のオーストラリア政府を率いるアンソニー・アルバネーゼ氏は、アサンジ氏が母国オーストラリアに着陸したのは「超現実的で幸せな瞬間」だったと語ったという。
2024年6月26日、サイパンの米国裁判所にて、米国国防情報の入手と流布に関する共謀罪1件の有罪を認めたウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏は、キャンベラ空港に到着後、飛行機の階段を降りる。
ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジは、ロンドンの刑務所の独房のドアを開ける取引で、アメリカの国防機密を暴露したことを認めた後、6月26日(水曜日)にオーストラリアに帰国し、自由の身としての生活をスタートさせた。
2024年6月26日、サイパンにある米国の裁判所で、米国の国防情報を入手・流布した共謀罪1件の有罪を認めた後、キャンベラ空港に到着し、手を振るウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ。
航空機を降りたアサンジは、両手を挙げて敬礼し、手を振って軍事基地のターミナルに向かった。
アサンジは、米国本土に足を踏み入れることなく、米国北マリアナ諸島連邦での司法取引の一環として、国防情報の入手と開示の共謀罪1件を認めていた。
この合意は、アサンジ氏がウィキリークスを通じて大量の情報文書を公開して以来、14年近くに及んだ訴訟問題に終止符を打ったように見える。
アサンジ氏は、それが公共の利益に適うものであり、憲法修正第1条の権利によって保護されていると主張したが、アメリカ政府はこれに同意せず、それ以来アサンジ氏の身柄引き渡しを試みてきた。
その間、アサンジは自宅軟禁生活を送り、強姦疑惑をめぐってスウェーデンへの身柄引き渡し命令と戦い(本人は否定し、後に不起訴となった)、政治難民としてロンドンのエクアドル大使館内で7年間を過ごし、その後、英国の厳重警備刑務所で5年間を過ごした。
ジュリアン・アサンジのジェット機がバンコクに到着、オフショアの米国裁判所へ向かう途中。
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- ブライトバート・ロンドン (@BreitbartLondon) 2024年6月25日