いくら分かろうとしても、そのことばを聞いて理解することができない時代が来る

Amos 8:11-12 - Calvary Chapel Pastor's Blog

アモス書8章11-13節

8:11 見よ。その日が来る。──神である主の御告げ──その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。

8:12 彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。

 8:13 その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

食べ物の飢饉(ききん)もありますが、「主(神様)のことばを聞くことの飢饉(ききん)」も思いがけず起こってきます。

 

この上記の聖書箇所は、終わりの日、すなわち終末時代のことについての預言です。アモスという人によってBC750年ごろに書かれました。

 

アモスは、当時たくさんいた職業預言者のような人ではなく、預言者仲間もなく、羊飼いをしながらイチジク桑を栽培しているような庶民でした。

場所はエルサレムからおよそ20kmの場所のべテルで、ある時神様に命じられ、イスラエル(北王国)への預言を行うようになりました。

 

アモスのいた時代の社会は、不正、腐敗、貪欲、背信、偶像礼拝などがはびこっていました。

それによって、「遅すぎた」ということが現実になります。

最初、イスラエル(北王国)はアッシリア捕囚とされ(BC.722)、北王国は滅亡しました。北王国の人々は、神様への心が離れ、繁栄を追求するために不正を行い悪事を重ねて堕落してしていきました。それゆえにもう神様を信じる正しい人はいなくなっていったのです。

 

アッシリア捕囚後、アッシリアは他国民や民族を住まわせる土地を度々シャッフルさせます。そうすると、捕囚民の雑婚が当たり前になっていき、徐々に民族性が保たれず、言葉が変わり、神様への信仰も薄くなっていき、偶像礼拝を行い、次第にチャンポン信仰、チャンポン民族のようなものになっていきます。

それは彼ら国や民族を弱体化させるアッシリアの巧妙な戦略です。

 

捕囚となった後、もう戻れなくなったイスラエル(北王国)の10部族は、徐々にちりじりになっていきました。(*終末時代のあと、御国王国では彼らは回復し帰還します。12部族が揃います)

 

捕囚で国を無くしてしまった北王国には、少数派でも真の神様への信仰を持ち続けていた人もいたことと思います。自分の中に神様のことばを蓄えている人は幸いですが、そうでない人は、いざ神様のことば、教えを聞いても神様との関係の土台自体が分からず、理解できなくなります。

 

このアッシリア捕囚のように、神様のことばを聞きたい、礼拝したい、賛美したいと思っても「もう遅い」のです。迫害の時代、聖書が焼かれ、見ることも、聞くこともできないというようなことが北王国にも起こりました。そして、今の時代やこれからの未来にも必ず出てきます。

 

助けを求め、救いを求め、神様を求め、神様のことばを分かろうとしても、そのことばを聞いても聞いても理解することができなくなります。神様を知ることができないようになります。神様なのか別物のメシアなのかどうかの判別もできなくなります。霊的な迷子、霊的なみなし子は、どこへ帰ったらよいのかが分かりません。

 

聖書の神様を知って信じることができなくなるまでに、「もう遅い」とならないように。

神様はいつでも悔い改めてくる人を見捨てず助けてくださり、ご自分の民、子どもとして喜んで受け入れてくださいます。ですから、その時をつかみ損ねないように……(祈)