ガムさんあや子さんと再会の礼拝

ガムさんあや子さんが先週日曜日にボホール入りしたが先週はパングラオ教会の礼拝へ出ており入れ違い。そのまま別の町へ行ったりセブへ行ったりしていて、私のほうも〆切りラッシュで会えていなかった。まぁ今日の礼拝では最悪会えるねということで、彼らは明日もうカミギン島へ帰島する。本当に一瞬の再会になり、前回会ったのがかれこれもう1年2か月前。一度半年前位にも彼らはボホールへ来たが、市内にはほぼおらず、会えていない。

今回は、今年6月に生まれた娘のハナちゃんと初めて会ったが、噂通り、あや子さんにそっくりで日本人的な顔をしている。あや子さん曰く、すでに暴れん坊になっている兄のアリ君以上に暴れん坊になりそうらしい。アリ君とハナちゃんは別部屋で寝てたりして写しそこねた……。

パスター・ガミが今日はカラペの教会へ行ったので、メッセージはガムさん。カミギン島での様子や証しも交えつつ、使徒行伝1章と2章から。


分厚かった脂肪層が削げ落ち、すっきりやせて若返ったガムさん。向こうではボクシングを再開して痩せた様子。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒1:8)」

あと、使徒行伝2章1−4節、「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

今日のメッセージ内容を要約すると、神様と過ごす時間がクリスチャンにとって最も優先すべきこと、大事なことで、ミニストリーや働き、勉強等はそれなくしてはただの人の働きとなってしまうので本末転倒になる、ということ。逆に言うと、神様と常に親しく過ごしていれば何をやるかもおのずと示され、聖霊に満たされた働きとなり、私たちを通して神様の奇跡が本当に流れ出るものとなる、ということだった。

これは本当にその通りで、クリスチャンのミニストリーや働きをしていることでそっちのほうが知らず知らずに優先順位が上になって、何かをやっている気になってしまう。自己満足に陥ってしまい、神様の管としてではなく自分の働き、仕事の成果となってしまううえ、神様の奇跡、想像を超えることを見ることがなくなってしまう。

この1世紀のペンテコステの日に起こったこと、教会誕生の原点を決して忘れてはいけないと思わされる。

メッセージ後のセルでも、私がシェアさせてもらったのは、私も典型的な日本人的仕事人間であるゆえに、クリスチャンの諸ミニストリーにも長らくコミットし、現在もしているが、何か働いているふうな気になってしまうこともあるし、仕事が忙しすぎて神様との時間を取るヒマもない、という本末転倒を起こしやすい傾向にある、ということ。結局のところほとんどはそんな感じだったんじゃないかと思う。

そんなことで、ガムさんあや子さん家族との再会の礼拝、次はいつまたどこで会えるかは分からないが、それぞれの置かれた場所で、互いの祝福を祈り会い、神様の示されることを励まし合ってやっていきたい。
感謝な1日だった。教会っていいな。