支持者たちが、チャーリー・カーク氏を偲んで黙祷を捧げる
(アレッサンドロ・ブレメック/NurPhoto/Getty Images提供)
【ブレイトバート】2023年9月21日‐4:26 カート・ジンデュルカ著
'I Am Charlie' -- Thousands Pay Tribute to Charlie Kirk Across Europe
先週、ユタバレー大学での学生討論会中に銃撃事件で亡くなった、チューニング・ポイント USAの創設者チャーリー・カーク氏の死は、
ヨーロッパ各地で追悼の意が表明されるなど、世界的な衝撃を与えた。
カーク氏は言論の自由の擁護者として高く評価されていた。
先週、ユタバレー大学で銃撃事件で亡くなったチャーリー・カーク氏を偲び、アリゾナ州のステート・ファーム・スタジアムに数万人が集まった。
一方、ヨーロッパ各地でも、31歳のこのアメリカ人活動家を追悼する人々が数千人規模で集まった。
ロンドンのハイドパークでは、カーク氏が2019年に設立したチューニング・ポイント UKが主催する追悼式典に、数千人が集まった。
英紙『メトロ』によると、カーク氏を偲ぶ人々は、イギリスとアメリカの国旗を掲げ、「神は王である」などのキリスト教の標語を唱え、「アメイジング・グレイス」を歌いながら、言論の自由の象徴であるスピーカーズ・コーナーまで行進した。
チューニング・ポイント UKのCEO、ジャック・ロス氏は、カーク氏は「検閲と専制に立ち向かい、勝利した現代の殉教者」だと述べた。
追悼の意はイギリスだけに留まらず、ブダペスト中心部でも、日曜の夕方にカーク氏を偲ぶ集会が開かれた。
ハンガリーの欧州議会議員、アンドラス・ラズロー氏は次のように述べた。
「私たちはブダペストの聖イシュトヴァーン大聖堂前で、チャーリー・カーク氏を偲び、祈りを捧げます。チャーリーが安らかに眠り、彼の殉教が世界中の多くの人々の転機となることを願います。」
イタリアでは、副首相のマッテオ・サルヴィーニ氏が、ポルティダで開いた右派政党リーガ(連盟)の集会を、チャーリー・カーク氏への追悼の場とした。
集会参加者の中には、「私はチャーリー・カークだ」と書かれたプラカードを掲げる人や、カーク氏の顔、写真が印刷されたチューニング・ポイント USAのTシャツを着た人がいた。
サルヴィーニ氏は壇上で、集会参加者に「黙祷だけでなく、チャーリー・カーク氏を偲び、アリゾナに届くような拍手を送ってほしい」と呼びかけた。会場のスクリーンには、カーク氏の写真が映し出された。
イタリアの欧州議会議員、ロベルト・ヴァナッチ氏は、「私たちはチャーリー・カークの精神を引き継ぎ、彼が成し遂げたことを続け、私たちの理念を世界中に広めなければならない」と述べた。
一方、フェニックスで開催された青年祭りの場で、イタリアのジョルジャ・メローニ首相は、故カーク氏について「彼は論理的な思考で主流派の論理を崩壊させたため、危険視されていた」と述べ、追悼の意を表した。
さらに、「彼は自由で勇敢で有能だったため、力で自分の信念を押し付けようとする人々にとって脅威だった。だからこそ、彼を排除する必要があったのだ」と語った。
カーク氏と同様に「ファシスト」というレッテルを貼られてきたメローニ首相は、カーク氏の死後、彼に対する「憎悪」を煽った「世界の左翼勢力」を非難した。
2025年9月21日、イタリア北部ポンティダで開かれた極右政党リーガ(Lega)の年次集会で、支持者たちが「私はチャーリー・カークだ」と書かれたポスターを掲げている。(写真:PIERO CRUCIATTI/AFP)(写真:PIERO CRUCIATTI/AFP via Getty Images)
一方、フランスの右派政党国民連合(RN)党首のジョルダン・バルデラ氏は、カーク氏の殺害について、「何百万人ものアメリカ国民、そして彼の動画を視聴していたヨーロッパの人々にとって衝撃的な出来事だった」と述べた。
「チャーリー・カーク氏の暗殺は象徴的な出来事だ。政治における暴力の再来の象徴である。この暴力は突然現れたものではない。
それは過激左翼、極左の仕業だ。この新たな政治的全体主義は、祖国を愛し、それを守りたいというだけの罪で、何百万人もの良識ある人々に対する憎悪を正当化している」と、30歳のバルデラ党首は嘆いた。
「彼らは政治的対立者を怪物やファシストとして非難することで、敵に対する憎悪を正当化している。自分たちとは異なる考えを持つ人々を非人間化するのだ。
そして、支持を失えば失うほど、彼らはより過激化していく。世界中で、私たちは今こそ極左の危険に立ち向かい、このイデオロギーの戦いに直接的かつ毅然として立ち上がるべき時が来たのだ。
チャーリー・カークの命を奪った彼らは、確かに一人の人間を殺した。しかし、彼を支持していた人々の心に、彼の遺志と記憶を消し去ることはできないだろう」
と、バルデラは述べた。
「この遺志とは、表現の自由と理性的な議論の権利を揺るぎなく擁護し、個々の尊厳と多様性を尊重することでもある。
それは、祖国と家族を愛し、それを守る権利でもある。そして、西洋文明が歴史を通じて培ってきた基本的な自由を擁護することでもある。
だからこそ、この遺志は、世界に愛国心を抱く人々がいる限り、永遠に生き続けるだろう。」