停電考

電気の話ばかり続いて恐縮ではあるが、また電気(停電)の話。貰い電気に関しては、いくつかの方法があるのでジェネレーターが入手できるまでは順繰りにやっていこうと思う。

私自身は、仕事でNETやPCが必須ということで不自由な以外、停電自体はさほど苦にならない。子ども時代、さんざん停電や断水、床下浸水等々を体験していたり、学校を卒業してから実家を出て、家電も電話も何もない生活を体験しているためではないかと思う。当時、不便だとか不自由だとかすら思わなかった。
でも、そういう考え方を勧めている訳ではない。時代や生活レベル的なものでもあるし、体験している人にとってはそんなものでしかない、というだけのこと。何事も一回体験しているのと全く体験していないのとでは敷居の高さが違ってくるのだ。

停電でありがたいことがある。それは、すぐ側の大学の昼夜(夜中も)を問わずしょっちゅうやっている大音量の騒がしいイベント類がなくなって、うちの辺は暗さと静けさが支配するようになったこと。
本来、夜は暗く静かなものだし、新月の真っ暗闇、満月の明るい夜などの変化を楽しめるものなのだ。
そういうものが帰ってきてうれしい。

ご近所でもジェネレーターの音がもっとうるさかったのだが、昨日今日あたりで静かになった。あれもランニングコストがものすごくかかるので、節約するようになったのだろうか。
大型だと燃料はディーゼル、小型だとガソリン、どちらもこっちでは高価なものだからそんなの24時間ガンガン使っていたら電気代以上になってしまう。

日本では特に、不便=悪、といってもいいぐらい不便な生活、不便なサービスは嫌われている。
でも私はそうは思わない、というか思えない。完璧なまでのインフラやサービスの裏側のひずみが大きすぎることを分かっているし、そういうことのすべてには私は賛同できないからだと思う。

うちの場合、旦那のほうが若いせいか苦労知らずのせいか(?)停電のストレスは旦那のほうがダントツに高かった。電気はまだかまだかと少し前までうるさかったので、文句を言ってもしようがないものに文句を言うヒマがあったら、解決方法や工夫する方法を探るべし!と叱咤激励してきた。

でも、まぁ可哀そうだと思って一昨日チキンカツを作ったら、死んでいた旦那の目が輝いてすっかり元気になった。(…単純すぎる)

■今日もかわいいシゲコちゃん

 

チャコと一緒に外へ出て、勝手に遠くへいくようになったシゲちゃん。体重も重くなっており、コロンとしてきた。
誕生した日から顔をペロペロなめてきたりと、犬のような兄のチャオと同じくスキンシップ派のようだ。

チャコはワーワー心配性でうるさい。よそのヤギでうちみたいなうるさいヤギはおらず(全員うるさい)なんでなのか1年あまり分析しているがよく分からない。