昨年の体調不良について

うちの旦那がブログで昨年の私の体調不良について書いていたので、思い出すことをメモしておこうと思う。まず一番具合が悪かったのが昨年7-8月ごろ。仕事が一番忙しいのも毎年このころなのでしばらく大変だった。

症状としては、常にだるい、薬を飲んだような異様な眠気が来る。常に頭の奥のほうが痛い。軽い頭痛のようだが私は頭痛もちではないのでこういう経験は初めてだった。
また、頭痛とつながって、目の奥のほうも同じように常にかすかに痛い。外で立ちくらみがすることがあり、一度、スーパーで買い物途中、突然目が回って字も読めずクラクラして立っていられないようになった。人と一緒だったので何とか帰ることができたが、今まで立ちくらみやめまいなどほぼ体験したことがなかったので驚いた。

それから口の中が常に金属臭のような妙な味がしていた。
仕事で困ったのは、集中力がなく原稿を書くのにも(編集やライター仕事をしていたので)2倍くらいかかってしまうことだ。私は通常暑さに強く、夏バテはしないので季節的な影響も考えにくい。それに自分でもこれはおかしいと思うほど頭が回らなくなっていた。昔そろばんをやっていたので暗算もそこそこできるほうだったがあまりできなくなっていた。

後で、放射能は程度は違えどまずすべての人に脳障害を起こすということを知って納得できた。しかも脳は自分の異常に気付くことができない。脳障害は当然身体機能にも影響を及ぼすし精神疾患にもつながる。放射能による脳障害についてはチェルノブイリでの統計があるのでネットなどで調べることができるかと思う。

私は特に大病もなく普段は病院へも行かないし薬も飲まない。水泳を結構本格的に習ってやっていたこともあり、体力には自信があるほうだった。それがいつの間にか突然こんな状況になってしまった。ネットなどで同じような症状を訴えている人を多く見て、こうしていつの間にか身体も脳もむしばまれて取り返しがつかないところへ行ってしまうんだなと差し迫る思いがした。

とにかく、一刻も早くここを離れないといけないこと、東京にいる間は徹底して自衛しないといけないことを身体をもって悟り、即実践した。可能な限り汚染食材・飲み物を避け、外食や中食も避け、外出時のマスク・メガネ着用、むやみに外出しないこと、春ウコンや自作乳酸菌とそれを使った豆乳ヨーグルトを取るなどのことをした。スポーツも危険を伴うので頑張っていた水泳も泣く泣くやめた。

おそらくそれらが功を奏してか体調はかなり戻った。引っ越しするまでは何とか現状維持をするしかないので、そのような生活のまま2月のフィリピン引っ越しを迎えた。

私が体調異変を訴えたはじめたころ、旦那は自分の職場にはそんなことを言っている人はいないし、何で私だけが体調を崩すのかと懐疑的だった。でも並行して放射能汚染のニュースや情報を得ていくうちに、私の言っている症状が気のせいや嘘ではないということが理解できたという。

振り返ってざっくり書くとこんな感じだった。実際はもっと細かい変化があったと思うが体調のことなので忘れてしまった。鼻血や下痢、生理不順などは起こらなかった。
人によっても受ける影響はかなり違うと思うので、百人百様の結果となると思うが、自覚がなくても遺伝子の異変、欠損などの被害は今回被爆した私たちの世代以降もずっと続くことになる。自分たちだけの問題ではないのだ。

よく、多少寿命が短くなってもいいという人がいるが、正気でポックリ楽に死ねるというわけではないのでよくよく考えてほしいと思う。また、放射能による心身障害は病院でまともに診断されないし、仮にされたとしても治療法がないので取り返しがつかないのだ。